ピックアップシェフ

石塚 規 日本料理いしづか 情熱溢れる生産者直送の食材を、最高の仕立てで食べて欲しい。

料理はお客様が来てから決める。その特別感と驚きも提供したい。

33歳で念願の料理長になりワインと和食の融合など新しい挑戦も。

『分とく山』では3年半ほど働きました。その頃すでに「35歳までに料理長になりたい」と思っていましたが、まだ30歳を超えたばかりで若かったので、そういう話はなかなか来るはずもなく…そんな矢先、二番手として働かないか、という話が舞い込んで来たんです。内容をお聞きすると、今まで経験した店とはまた違ったしつらえで、面白いコンセプトの和食店でした。また違った仕事ができるに違いないと感じ、お世話になった『分とく山』を退社しました。
二番手の立場で入った東麻布の『万歴龍呼堂』ですが、入社2か月で料理長が辞めてしまい、私が料理長を務めることになりました。33歳だったかな。この世界では若い料理長だと思いますが、任命されたその日から、ごく自然に料理長としての仕事はできていたと思います。修業時代から私は、新しいポジションを与えられたら、初日から全てができて当たり前、と言う思いで努力してきました。それができなければ、即、仕事を失うという厳しい世界でやってきましたからね。料理長を命じられた日から、献立も難なく書けましたし、持てる力の110パーセントを出して努めていました。いま当時の献立構成を見返すと、やり過ぎていたなぁって感じますけどね(笑)。全体のバランスを考えて、山あり谷あり、ではなく、山・山・山、という感じ(笑)。
『万歴龍呼堂』は、和食とワインを合わせるというテーマを持つ店でしたので、毎月『ワインと合わせる一品』を考えるのもいい経験になりました。実は私は30歳過ぎまで和食一筋で、本格的なフレンチやイタリアンのコースは全く知らない世界。「料理人としてそれではダメだよ」と『分とく山』時代のお客様方に諭され、食べ歩きをするようになりました。異なるジャンルの料理を食べることでいろんなことが頭の中で融合され、「あ、これは和食にも取り入れられるな」と、どんどんアイディアが沸いてきます。その経験は毎月ワインと合わせる創作料理を考えるときに、ずいぶん役立ちました。最初は苦労しましたよ、試作、試作、試作の連続でね。そして完成したひと皿をコースのどこに入れるかも、相当気を遣いました。

33歳で念願の料理長になりワインと和食の融合など新しい挑戦も。

最高の食材を求めて各地を訪問。生産者とのネットワークが財産に。

『万歴龍呼堂』の料理長に就任し、その年から5年連続で「ミシュランガイド東京」で一つ星をいただくまでになりました。店のしつらえがすごく良かったし、客層も30代から70代ぐらいまで幅広く利用されていたので、料理次第で星を取れるな、と思っていました。私が最も力を注いで改革したのは、食材です。当初はほとんどの食材を築地市場から買い入れていましたが、日本各地の生産地や港まで足を運ぶようになりました。そこでいろんないい出会いがたくさんあり、それは私の財産になっています。送料は高くつきますが、やっぱり市場のものと比べると、食材の質が断然いいんですよ。
独立したいまも、そのネットワークのおかげで、日本各地の生産者さん、漁師さんから最高のものを送ってもらっています。魚は瀬戸内の香川、長崎の平戸に千葉の館山、佐渡と主に4か所から届きます。毎朝、5時半から電話をかけ、水揚げの様子を聞き、その日いちばんの魚が店に届きます。一緒に船に乗って漁にも立ち会い、「こういうふうに魚をしめて送って欲しい」とまで細かくお願いしています。そこまでする料理人は他にいないと思いますが(笑)、やっぱり来て下さる方々に喜んでいただくには、最高のものを提供したいんですよね。ありがたいことに、台風や大雪で築地市場がからっぽというときにも、うちの店にはたっぷりと食材がありました。4か所から取り寄せているので、たとえ瀬戸内がだめでも千葉から、千葉がダメでも長崎から、というふうに食材を切らしたことはありません。また台風で漁ができないときでも、手を尽くして送ってくれたり、漁を再開していちばんに獲れたものを真っ先に送ってくれたり、なじみの生産者さんのありがたみには、いつも頭が下がります。私の役目は、その素晴らしい食材を最高の仕立にしてお出しし、お客様に喜んでいただく、それに尽きますね。

最高の食材を求めて各地を訪問。生産者とのネットワークが財産に。

買わないと戦えないという気持ちで、食材を仕入れ続けた。

料理人になって20年目の節目の年に独立し、2013年『銀座 いしづか』をオープンしました。場所は日本の真ん中・銀座にこだわって物件を探し、見つけたのは銀座1丁目のビルの5階。銀座の端の1丁目にしたのは、既に街が出来上がっている7丁目や8丁目に比べて、これから進化する場所だと感じたんですよね。あえて5階にしたのは誰でもふらっと入れる店でなく、わざわざ来ていただける店にしたかったからです。まぁ最初は予算不足で看板も作れず(笑)、正直集客にはかなり苦労しました。当初は、前の店から来てくれていた常連さんばかり。それでは毎日たくさん届く食材も、全部ははけません。それで夜遅くに友人知人に来てもらい、スタッフを帰して私一人で料理もサービスもこなし、料理を食べてもらっていました。店にある食材は2日と置けない新鮮なものばかりですから、早く食べてもらいたかったし、食材を買い続ける努力をしたわけです。お客さんが少ないなら、仕入れを減らせばいいのですが、絶対そうしなかった。もちろん大変ですけど、「買わないと戦えない」と考えていましたからね。そう信じて予約人数以上の食材を、築地からも産地からも豊富に買い付けていました。今日も入らない、どうしよう、と思いながらもめげずに続けていました。そうしたらオープンから2か月後ぐらいで、徐々に予約が増えてきました。
私の店『銀座 いしづか』のいちばん特徴は「前もって用意をしない」ことでしょうか。普通は予約を見ながら、あれこれ決めるものですが、私はご案内する席も料理の内容から味つけまで、来ていただいてから決めたいんですよ。例えば焼き物ひとつにしても、お飲みになっているお酒に合わせて、塩焼きか、山椒焼きかそれとも西京味噌で焼くか・・・と考えます。大変ですよ、とくにスタッフは。今日はこれで行くよ、と事前に言っていたものが60パーセントぐらいは変更になりますからね(笑)。決めちゃうと料理も前もって作ってしまうので、そうすると「作って置いたもの」になってしまう。それよりその場で考えるのが好きなんです。それと調理しているシーンをなるべく見せようと、普通は見せないシーンまでお客様の前でやっていますね。というのは、出来上がる過程も目で楽しんでいただきたいからです。おかげさまで今年9月に『銀座 いしづか』は2周年を迎えます。やりたいことはいろいろありますが、いまやれることは来てくださるお客様を喜ばせ、驚かせ、満足していただくこと。その軸がぶれないよう、努力していくだけです。   (終)

買わないと戦えないという気持ちで、食材を仕入れ続けた。

母の手伝いをしながら覚えた『銀だら たれ焼き』。

小学生の頃から、料理上手な母の手伝いをするのが好きで、見よう見まねで覚えた料理がたくさんあります。この『銀だら たれ焼き』もそのひとつ。母の作るものは、もっと味が濃かったですが、これは塩分控えめの味つけにしています。店では串を打って炭火で焼きますが、レシピはグリルとフランパンで焼く方法2通りをお教えいたします。グリルで焼けばふっくらと焼き上がり、フライパンだと柔らかく違った食感で楽しめます。どちらも、たれをこまめにかけながら、おいしそうな照りが出るように焼いてください。 フライパンで焼くと、皮がペロッとむけてしまいがちですが、家庭料理なのでそれもご愛嬌(笑)。あまり気にしなくてもいいでしょう。一緒にナスやしし唐などの好きなつけ合わせの野菜も一緒に焼くのもおすすめ。冷めてもおいしいので、お弁当のおかずにも良いと思います。
私の店ではランチタイムの時間帯に毎月6回、定期的に料理教室を開催しております。開催日によって基本の出汁の引き方からご家庭向きのお惣菜、店で出すような本格的な一品までお教えてしていますので、おいしいご飯を作りたい、もっと和食を知りたいというご希望がありましたら、ぜひご参加ください。

銀だらのたれ焼き(グリル焼き)

銀だらのたれ焼き(グリル焼き)

コツ・ポイント

グリルで焼く場合は焦げやすいので、火加減を見ながら焼いていく。 銀だらの皮がむけるのを防ぐには、片栗粉や小麦粉を皮目に振ってから焼いても良い。 銀だらの代わりに鰆やスズキなど白身魚を使ってもOK。

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