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永島 義国 SALONE2007(サローネ ドゥエミッレセッテ)  二枚看板のシェフが創り上げる クリエイティビティが魅力の横浜リストランテ。

永島(えいじま)義国  『SALONE2007』に来ないと食べられない、 と言われるほどの自分らしい料理を。

二枚看板のシェフが創り上げる クリエイティビティが魅力の横浜リストランテ。

2014年11月、バーニーズ ニューヨーク横浜店の地階に移転した『SALONE2007(サローネ ドゥエミッレセッテ)』。地元で長く愛されてきた以前の路面店の自由な空気はそのままに、エレガントで華やかに生まれ変わった上質な空間。伝統的なイタリア料理に革新的なアプローチをこらして昇華させた料理がいただけるリストランテです。そしてシェフは、永島(えいじま)義国さんと細田健太郎さんのダブルシェフ体制。2人の力で次々と新しい驚きの料理を完成させ、このお店に来ないと味わえないイタリアンを提供しています。インタビューはお2人それぞれから、お話をお聞きしています。なお、紹介するレシピは前・後編とも永島義国シェフにお願いしました。

洋食店と居酒屋を営んでいた両親。店の手伝いをきっかけに料理人の道へ。

新潟県の富山寄りの街、上越市で生まれ育ちました。父は洋食のレストランと居酒屋を営んでおり、子供の頃から父も母も忙しく働いていたので、夜は弟と2人で母の作った夕飯を食べる毎日でした。まぁそれが普通だと思っていたので、寂しさはありませんでした。でも、父の姿を見てなんとなく将来は料理人になりたい、きっとなるんだろうなと考えていました。
高校に入ったころ、母が体を壊したこともあり、母に代わって洋食店のホールの仕事を始めました。
そのアルバイトがきっかけで、料理人になる決心が固まりましたね。高校卒業後は東京の調理師学校に進み、洋食のコースでフランス料理とイタリア料理を学びました。そのとき実習で野菜のリゾットを作ったのですが、こんなに簡単でシンプルなのに、このおいしさはなんだろうと、いたく感動してイタリア料理に進もうと決めました。300人の同級生の中で10人ほどしかイタリアンに進まなかったので、少数派でした。進路を決めるとき、先生に「東京で有名なイタリアンレストランを教えてください」と聞き、名前を挙げてくれた店のひとつ、飯倉の『Chianti(キャンティ)』に面接に行ったら、当時のシェフ、飛田重信さんが同郷の方だったのです。それで雇ってもらえた、と思っています(笑)。
『Chianti』で3年ほど働き、ベーシックなイタリア料理はずいぶん学べました。その後は飛田シェフが独立された店でも働き、経験を積みました。そうなると「イタリア人のイタリア料理も見てみたい」と思い始めます。それで当時『カルミネ』グループの総料理長だったファストロ・ステファノ氏の元で働き始めました。1年後には『リストランテ カルミネ』のシェフを命ぜられ、初めてシェフとして働き始めました。ひとりでメニューを考え、それをオーナーのカルミネ氏にファックスで送るのですが、「これはイタリア料理ではない」とダメだしされ、また考え直して・・・という日々。そうなるとやっぱり本場のイタリアで、実際にイタリア料理を学びたくなってくるんですよ。

洋食店と居酒屋を営んでいた両親。店の手伝いをきっかけに料理人の道へ。

地方色豊かなイタリア料理の真髄が知りたくて、各地で5年間の修業。

ミシュランの本を買って、イタリアにある星付きの店10軒ほどに「働きたい」という手紙を送りました。最初に「OK」の返事をもらったのは、リグーリア州にあるレストランでした。イタリアに行く前は、3年はいよう、と漠然と考えていましたが、結局5年も滞在しました。帰国したくなくなるほどイタリアの生活は楽しく、仕事にも恵まれ、とても幸運だったと思います。
1年目の夏のシーズンをリグーリアで過ごし、その後はトスカーナ州南部のグロッセートへ。ちょうどオリーブの収穫シーズンで、週のうち店を3日休んで、スタッフ全員でオリーブを摘むんです。収穫したオリーブを抽油所に運び、搾りたての新鮮なオイルで料理を作る、そんな店でした。一度オリーブオイルを作る工程を見てみたかったので楽しかったですね。またフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州では、伝統的な料理を出す店で働きましたが、25ユーロという値段で前菜3皿、パスタ3種類、メインを2種類にドルチェまで出すんです。その安さにびっくりしました。
5年間の滞在中、最も長くいたのがヴェネト州トレヴィーゾの店でした。役所の仕事が遅くてビザがなかなか降りなかった僕のために、裁判まで起こして大事にしてくれたんですよね。いまも感謝しています。その後各地で修業する合間の時期も心よく働かせてくれ、お世話になりました。
5年間でロンバルディア州、ヴェネト州、リグーリア州、エミリア・ロマーニャ州、トスカーナ州、シチリア州の星付きレストランなど計8店で修業し、帰国しました。やはりいちばん学べたのは、地方独特の料理の魅力です。北と南という大ざっぱな違いだけでなく、地方ごとの料理法、野菜の使い方やハーブの生かし方。味つけの仕方、オイルの使い方なども違います。イタリア料理の固定観念が変わるほど驚かされる経験もありました。素材の持ち味を生かすやり方を大事に料理するところは、その後の僕の料理に大きな影響を与えました。

地方色豊かなイタリア料理の真髄が知りたくて、各地で5年間の修業。

伝統の料理に“永島風”のテイストを加えた一皿を追及していきたい。

帰国後、都内のレストランで働いているとき、食事に来たことが『SALONE2007』との出会いでした。自由な料理も店の雰囲気も、5年間暮らしたイタリアのようで「わぁ、イタリアっぽいな」とすぐに感じました。縁あって、去年の夏からここで働くことになり、嬉しかったですね。
今年の5月からシェフになり、細田シェフとのダブルシェフ体制で店をやることになりましたが、僕はこの方法が気に入っています。ヴェネト州の店で働いているときも、仲良しのスーシェフが勉強熱心な男で、いまと同じように知識を分け合って、店をやっていたんです。ちょうどスペイン料理が世界的に注目され始めたころだったので、彼がスペインの店で学んできたことと、僕が地方のレストランで見たもの、食べたものなどをそれぞれ教え合い、メニューに取り入れたりしていたので、それと同じことができているんですよね。目下の目標は、自分のオリジナル料理を作り出すことかな。イタリアのシェフは、自分の料理はこれだ、という一品を必ず持っていて、ファンを獲得しています。日本のイタリア料理には、あまり無いかもしれませんが、僕はそれをアピールしていきたい。伝統的な手法をベースにしながら、自分の地元の素材を取り入れたオリジナル料理、かな。そういうものが作り出せるチャンスがあるのが、この店だと思います。ここに来たら、あれを必ず食べる、とみんなに言われるような、ね。でもすごく難しいですよ。何百年も食べ続けられてきた料理を、永島風にしてお出しする、というのは並大抵の苦労ではないでしょう。でも、そろそろチャレンジし始めていますので、完成したらぜひ食べに来て下さい。   (後編に続く)   ※後編では、細田健太郎シェフのインタビューをご紹介します。

伝統の料理に“永島風”のテイストを加えた一皿を追及していきたい。

旅先で習った『カツオ、巨峰、モッツァレラのサラダ仕立てバルサミコ酢ソース』

今回お教えするのは、この時期おいしいカツオを使った前菜風の一品です。カツオはイタリアでも食べられている魚ですが、日本のものより身が小さく、食感もパサつくので、南蛮漬けのような酸味のあるソースに和えて食べることが多いですね。この料理のように、カツオのたたき風に食べる料理は無いので、かなり日本風にアレンジした料理になります。
合わせるのは巨峰、モッツアレラチーズ、ルッコラとワインビネガー、バルサミコ酢。巨峰とワインビネガーにバルサミコ酢というぶどう繋がりの相性の良さ、ルッコラの苦味、チーズのミルキーさが、この料理の味の決め手になります。ソースにするバルサミコ酢ですが、家庭で煮詰めるにはとても手間がかかるので、一緒にハチミツを入れて火を使わずにソースに濃度がつくレシピにしています。なお、バーナーをお持ちでない場合は、市販のカツオのたたきでも同じようにできますので、もっと手軽に簡単に作れるでしょう。戻りカツオとブドウがおいしい時期ならではの一皿なので、ぜひ季節も一緒に味わってください。

カツオ、巨峰、モッツァレラのサラダ仕立てバルサミコ酢ソース

カツオ、巨峰、モッツァレラのサラダ仕立てバルサミコ酢ソース

コツ・ポイント

カツオの内部をレアに仕上げるため、カツオは冷蔵庫から出してから即炙り、すぐに赤ワインビネガーで調味する。水っぽくなるので氷水に漬けないこと。 ドレッシングはバルサミコ酢とハチミツ、塩を入れたらオリーブオイルを少しずつ加えながらよく混ぜ、しっかりと乳化させること。

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