ピックアップシェフ

鈴木 一夫 ウェスティンホテル東京 ザ・テラス 洋菓子の世界に全く未経験で飛び込み、自分が納得できる方法を見つけながらオリジナルのお菓子を作ってきた。

こうすれば絶対においしく作れるという自信のレシピ、アップルパイ。

サラリーマン生活に見切りをつけ、調理師学校で学びホテルの厨房へ。

『ウェスティンホテル東京』に入社して、今年で13年になりました。エグゼクティブペストリーシェフとして、レストラン『ザ・テラス』のデザートブッフェを筆頭に、ホテル内のすべてのペストリー部門を任されて、毎日充実した時間を送っていますが、実は、飲食の世界に入る前にはサラリーマンを経験しています。社会に一旦出たあと、入学した調理師専門学校では、主に洋食のコックになる勉強をしていたので、当初はお菓子の世界とは全く無縁のスタートでした。
工業高校で学び、卒業後に空調関係の会社に入社した僕は、一年ほど機械の取り付けなどしてサラリーマンとして働いていましたが、どこか物足りなさを感じていたんですよね。そのとき頭に浮かんだのが、料理の仕事でした。高校時代にはファミリーレストランや、ファストフードの店でずっと調理のアルバイトをしており、とても面白くて、好きな仕事でした。ファストフード店には、セントラルキッチンから、ほぼ調理済みの料理が届きますので、調理することはあまりないのですが、これはどうやって作られるんだろうとか、味付けはどうしてるのかなど、調理のプロセスやレシピを想像するのが好きでした。工業高校出の理科系的な発想というのかな、食べ物に対するそういう見方はいまも変わらないし、そういう“知りたがりの性格”が、お菓子の世界に入っても、ずいぶん役に立ったと思っています。

サラリーマン生活に見切りをつけ、調理師学校で学びホテルの厨房へ。

20歳でサラリーマンを辞める決心をした僕は、調理師専門学校に入学し、念願の料理の勉強を始めました。それはもう、真面目に通いましたよ。知らないことばかりだったので、もの珍しさもありましたし、料理の勉強は面白かった。1年間で洋食の基礎を学び、卒業後はアメリカ系の大手ホテルに採用されました。しかし密かに希望していたメインダイニングではなく、社員食堂のコックに配属され、正直、ちょっと当てが外れた気持ちになりました。でも、まだ下っ端でしたし、仕事はとにかく一生懸命やろう、でも休みの日は自分のために使おうと、休日には母校の調理師学校に行き、先生方の助手をやらせてもらったりもしていました。そこでお会いしたのが、講師として教えにいらしていた『ロイヤルパークホテル』の当時の嶋村総料理長でした。嶋村さんから、どこで働いているのか聞かれ、「ホテルの社員食堂です」、と答えると、びっくりされた様子で「社員食堂で働いているならウチに来いよ」と言われました。もう即座に、決めましたね。(笑)。これでやっとホテルのダイニングで働けると思って、それはもう嬉しかったですね。

フランス人シェフに、明日からペストリーはお前に任せる、といきなり指名された。

日本橋人形町の『ロイヤルパークホテル』は、まだ開業前で、僕は開業準備から、いよいよメインダイニングのフレンチレストランで働くことになりました。しかし入ってみてびっくり。シェフがフランス人で、厨房内は全てフランス語でやりとりされているんです。もう言葉が全くわからないし、昨日まで社員食堂でコロッケを揚げていた僕に、最前線のフランス料理と言われてもハードルが高すぎました。とにかく何をやっていいのかすら、全くわからなくて、毎日が辛く、早くも辞めたいと思うようになっていました。そのときお世話になったのが、先輩だった沼尻シェフ、現在の『ウェスティンホテル東京』総料理長です。そのころからいろいろ助けられ、いまも慕っている先輩です。
ホテルが開業準備をしている頃、フランス人シェフが、これからレストランで出すお菓子やデザートは、ここで全部作ると言いだし、え、でもパティスリーの担当はいないし、誰がやるの、となったのですが、なぜか「お前がやれ」と僕が指名されました。お菓子のことは全く分からないし、ましてや作ったこともない自分がなぜ、という気持ちでしたけど、断れる雰囲気でもなかったので、まぁ、しょうがない、やってみるか、と。しばらくやれば本来の仕事に戻してくれるだろうと、仕方なく始めたのが正直な気持ちでした。しかもシェフから渡されたお菓子のレシピは全部フランス語。何が書いてあるかさえ理解できません。ポケットに辞書を入れて持ち歩いていたので、もうそこからは辞書を見ながら、全て独学でお菓子の担当として働き始めました。

フランス人シェフに、明日からペストリーはお前に任せる、といきなり指名された。

朝から8種類のアントルメを作り、プティフールを作り、そして最後のデザートまで、全部一人で作っていました。ほとんど家にも帰れず、残業して泊まり込みで作業する毎日でしたね。とにかくレベルの高いフレンチレストランですから、料理を作る先輩たちも毎日必死にやっていますし、もうすぐ料理のほうに戻れるとか考えながら、生半可な気持ちでやっているのが、だんだん恥ずかしくなってきたんですよね。だったらもう、いっそ、お菓子屋さんになっちゃおうかなと決心して、ある日、シェフに「僕はこれからパティシエになります」と言ったら、「お前はバカか!」と言われましたけど(笑)、「もう決めたのでやらせてもらいます」と宣言し、いきなりお菓子の責任者になりました。

僕のお菓子作りは仮説と検証の繰り返し。まるで物理と科学の実験室のようだった。

そばに指導してくれる師匠もいなければ、洋菓子の勉強もしたことがないわけですから、呆れられるのも当然なんですが、「やる」と宣言したからには、とにかくやる、と。それだけが支えでしたね。今もそうです。なにか新しいことをやりたい時は、スタッフの前で「絶対やるから」と宣言します。
ゼロからお菓子のことを勉強し始めたので、理論的なことが全く分からず、最初は疑問だらけでした。例えば、生クリームの立て方ひとつでも、どうしてこうやるんだろう、こうではダメなのか、って。その方法が本に載っていても、必ずどうして? という疑問が沸きます。先輩や同僚に聞いても、昔からそういうものだ、とか、そう教わったからそれでいいんだよ、って答えしか返ってこない。はぁ、意味がわからない、としか思えなかったんですよね。だから自分で仮説を立てて、それを実際に作ることでひとつひとつ証明していくしかない、その繰り返しでした。お菓子作りというよりも、物理と科学の実験みたいなもの、とでもいうのかな。もともと僕自身、理科的なことが得意だったので、何も囚われることなく、何を言われようと、仮説→検証、仮説→検証を常に繰り返して、自分のお菓子を形成してきたと思います。答えが見つからないときは、図書館に行っていました。当時はインターネットがありませんから、疑問があれば、文献を探しに行って、答えを見つけるしかありません。お菓子の本じゃないですよ。牛乳の本、小麦粉の本、砂糖の本とか食物関連、農業関連の本ですね。それらを首っ引きで調べて答えが見つかったら、また検証…。超マニアックでしょう(笑)。そうやってお菓子について、答えを見つけながら作ってきたので、うちのスタッフにも、きっちり説明します。だからお菓子の流派とか、関係ないんですよ。言ってみれば全て僕が作るお菓子は、自分自身が作りだしてきたオリジナルですし、僕独自の流派、というわけですから。

僕のお菓子作りは仮説と検証の繰り返し。まるで物理と科学の実験室のようだった。

今回お教えするお菓子は「アップルパイ」です。ホテルでお出ししているオーストリアの伝統菓子「アプフェルシュトゥル-デル」やアメリカンタイプの「アップルパイ」を、すごく簡単にして、ご家庭でも作りやすいレシピになっています。ホテルですので、フランス菓子だけでなく、いろんな国のお菓子を作りますが、その中でも「アプフェルシュトゥル-デル」はとりわけ特徴的なお菓子。生地がとにかく薄く、生地の下に敷いた新聞が読めるほどにまで薄く伸ばして、りんごを包んで焼くお菓子です。ここまで薄くする技術は、とても難しいんですが、いつものように試行錯誤を重ねながら、ホテルでお出ししていて、りんごの季節を楽しみにされているお客さんも多い人気メニューになりました。まぁ、これはご家庭では作るのはとても難しいので、ぜひ簡単な方のアメリカンタイプの「アップルパイ」にトライしていただきたいと思います。

アップルパイ

アップルパイ

コツ・ポイント

フードプロセッサーに牛乳以外の材料を入れ、そぼろ状の状態にしたところに牛乳を加えること。混ぜすぎず少し粉っぽさが残るぐらいで止め、ひとつにまとめて冷蔵庫へ。このときも絶対にこねないこと。焼き上がりはりんごのかさが減るので、上からフレッシュなりんごを少しのせても良いでしょう。

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