ピックアップシェフ

川手 寛康 Florilege フロリレージュ 料理人一族の中で育ち、父に反発しながらもやっぱり選んだのはフランス料理の道だった。

モンペリエでの修業時代に数え切れないほど食べたフランス風ピザ『ピサラディエール』

料理人修業の仕上げにフランス・モンペリエで働いた後、ヒッチハイクで各地を放浪。

『ル ブルギニオン』でスーシェフとして3年間働いた後、僕はフランスに修業に行きました。かねてから菊地シェフには「フランスに行きたい」と伝えていましたので、僕の次のスーシェフには半年かけてきっちり仕事を引き継いでいき、フランスで働く店『ジャルダン デ サンス』も、菊地シェフに紹介していただきました。『ジャルダン デ サンス』は南フランスのモンペリエにある当時ニツ星のレストランで、双子の料理人、ジャック&ローラン・プルセルの店としてとても有名です。僕はそこのポアソニエ(魚担当のシェフ)のもとで、1年間、魚料理を担当して働きました。最初のひと月ぐらいは、言葉もわからないし、日本人の友人もいないし、けっこう辛かったですね。でもいま思えばそれが良かった。フランス人の友人ができ、シェフにもかわいがっていただき、地元の人しか行かないプライベートビーチとか、いろんな場所に遊びに連れて行ってもらい、僕が料理をしてみんなにふるまったり、自由気ままに楽しく過ごしていました。お給料は400フラン、当時レートで5万5千円と生活するにはギリギリでしたけど、寝るところはあるし、食事も店のキッチンが使えたので、困ることはありませんでた。

料理人修業の仕上げにフランス・モンペリエで働いた後、ヒッチハイクで各地を放浪。

当時、よく作った料理が、今回お教えする『ピサラディエール』。南フランスでは、とてもポピュラーな料理です。ピザをフランス風にアレンジしたものですが、ビストロやカフェには、必ず置いてあるような軽食メニューで、家庭でもよく作られています。店のまかないとして、頻繁に食べていた思い出の料理なんです。カジュアルな一品ですが、“これはピザとは違うよ”、という南仏人のプライドみたいなものも感じられ、いまも忘れられないんですよね。お店によってアンチョビの並べ方が格子状だったり、放射線状だったりと個性があるのも面白いんです。キャラメルオニオンさえうまくできれば、生地にトッピングしてオーブンで焼くだけですから、とても手軽で簡単ですので、おやつに、おつまみに、ぜひ作ってみてください。

帰国後『カンテサンス』でフレンチの新風そのものの“攻めの料理”を吸収した。

『ジャルダン デ サンス』で1年間働いたあと、もう少しフランスを見てまわろうと、ヒッチハイクで半年ほど、各地を回りました。まず先輩の働いていたリヨンに行き、次にヒッチハイクでアルザスへ。アルザスにあるレストラン『ランスブルグ』の料理を食べてみたかったので目指したのですが、なにせヒッチハイクなので、食べるまで一ヶ月かかりましたけどね(笑)。そうやって歩き続け、安宿に泊ったり、または道すがら知り合った親切な方々の家に泊めてもらい、お礼に料理を作ったりしながら3~4ヶ月かけてパリに到達しました。そのときの気持ちとしては、もう半年ぐらいフランスで働きたかったのですが、実は、渡仏前に結婚していた僕は、嫁さんを日本に残して単身でフランスに来ていたんですよ。もうこれ以上、嫁さんを一人にしておくのも気がひけましたので、帰国しました。
1年半のフランス修業は僕にとって、とても楽しい経験でした。料理人仲間や先輩たちから、あちらで苦労した話をたくさん聞いていますけど、僕はそういうことはなかったですね。若いときではなく、修業の仕上げとして学びに行ったのが良かったのかも。覚えたことがすぐに仕事に活かせますし、後輩に教えてあげることもできるし、有意義な時間を過ごせたと思っています。

帰国後『カンテサンス』でフレンチの新風そのものの“攻めの料理”を吸収した。

帰国した当時の僕は、すぐにでも独立して店をやる気満々でした。それで恩師の菊地シェフに「独立したい」と相談に行ったのですが、菊地さんには「うん、できると思うよ。でもいまやっても、納得のいくレベルのレストランにするのは難しいと思う」と、ズバッと言われ、頭をかかえました。さらに菊地さんに「今の東京のフランス料理店というものに、何が求められているのか。もう少し、それを知ったほうがいいんじゃないか?」というアドバイスを受け、紹介していただいたのが、岸田周三シェフの『カンテサンス』でした。岸田シェフとは『ル ブルギニオン』時代に面識があり、僕の料理を食べていただいたこともありました。面接の時も一緒に働こう、と引っ張っていただき、心から感謝しています。
僕が『カンテサンス』で働き始めたのは開店して8ヶ月ぐらいのころ。今では信じられないことですが、まだ知名度の低かった『カンテサンス』はお客様も少なく、ディナータイムがゼロの日もありました。それでも岸田さんは、今と変わらないくらい攻めている料理を出していました。フレンチの新しい風そのままの料理、しかし広く理解されるには時間がかかる料理、と言うのかな。でも常に岸田さんはスタッフの前で「店は大丈夫。これから三ツ星取るから、絶対に大丈夫」と言い続けていました。僕は心の中で「二ツ星はもらえるだろうけど、三ツ星はどうかな」と思っていたんですが、その数ヵ月後にシェフの言葉通りになりましたからね。

反対を押し切り、自分の理想が全て詰まった店『フロリレージュ』を30歳でオープン。

『カンテサンス』には2年間ほどお世話になりましたが、そこで学んだいちばん大きなことは“自由”ですね、それに尽きます。毎日岸田さんをそばで見ていて感じたのは、楽しみながら料理を作っているんだな、ということ。いつも楽しそうなんです。その姿を見て、僕もシェフになったら、自由な心で料理を作りたいと憧れていましたし、目標にもしていました。店は多忙を極め、僕も近くに部屋を借りて寝泊りするほど忙しく料理に没頭していましたが、それでも毎日すごく楽しかったですね。
30歳になったとき、独立して店をやる、と決心したのですが、最初は家族も友人たちも大反対ですよ(笑)。そんなに甘くないぞ、と。応援してくれたのは菊地シェフと岸田シェフだけです。とにかくこういう店を作りたい、という明確なものがはっきりあったので、それだけを支えに反対を押し切り、ひとりで必死に頑張っていました。『カンテサンス』の仕事の合間に物件を何軒も見に行き、資金調達にいろんな場所にでかけ…いま思えば、僕が世間知らずだったのが良かったのかもしれないですが(笑)。そしてやっといまの店の物件に出会い、すべてが整い、2009年6月に『フロリレージュ』がオープンしました。

反対を押し切り、自分の理想が全て詰まった店『フロリレージュ』を30歳でオープン。

いまでこそ、予約がなかなか取れない店、と言われるほどたくさんの方がご支持くださっていますが、開店からひと月は、ほとんどお客様が来なかったですね。そのとき『カンテサンス』から一緒に独立したマネージャーをはじめ、スタッフに申し訳ないと心から思いました。店名に『フロリレージュ』とつけたのは、共に一緒に働く仲間や、僕を支えてくださった方々への尊敬や感謝が集まってできたもの、という気持ちをこめたかったからです。この店は僕一人のものではなく、支えあって成り立っていると思っています。そしてお客様には、料理が50、サービスが50で合わせて100%の満足を感じていただくのが理想です。実際に、帰るときに「美味しかったよ」よりも「楽しかった」と声をかけてくださる方のほうが多いのは、本当に嬉しいことだと思っています。どういうふうに楽しいのか、と聞かれても、マジックの種明かしみたいになるので止めておきますが、来ていただければ必ず分かると思います。この店は丸4年を過ぎたところですが、ここをこのまま10年、20年とやっていこうとは思っていません。やりたいものは必ず変わるので、それが見えてきたら次のステップに進もう、というのが僕の考え方です。ただ、料理人であることと、食材に対して素直でいるという気持ちだけは、何年経っても、いくつになっても変わらないでしょうね。

ピサラディエール

ピサラディエール

コツ・ポイント

この料理は生地の発酵がうまさを左右するので、十分に発酵させること。写真は一人分の量で焼いていますが、オーブンの天板のサイズに合わせて、大きく焼いてもおいしくいただけます。 ※調理時間は、発酵時間を除いたものです。

レシピを見る

  • facebookにシェア
  • ツイートする
  • はてなブックマークに追加
  • 文:
  • 写真: