ピックアップシェフ

本多 誠一 ZURRIOLA / スリオラ 故郷・日本と似た四季と豊かな食材にあふれるスペイン料理を、 日本人らしい技術で発信していきたい。

山あいのワイナリーで出てきたあの料理のおいしさが忘れられない。

実家は鮮魚店。幼い頃から親しんでいた魚介をおいしく食べてもらう料理人になりたかった。

僕の実家は千葉県習志野市で鮮魚店を営んでいました。両親と叔父夫婦が魚屋で働き、僕たち家族は店の二階に住んでいましたので、小さい頃から新鮮な魚が身近にあり、もちろん食事も魚が中心。お小遣いも魚をパックにつめれば1個1円もらえるというルールだったので、一生懸命手伝って50円ぐらいもらい、近所の駄菓子屋でおやつを買う、みたいな子供時代でした。そういう環境で育ったので、いまも魚は見るのも食べるのも大好き。幼い頃は、将来は魚をいっぱい獲る漁師になりたいと思っていました。

実家は鮮魚店。幼い頃から親しんでいた魚介をおいしく食べてもらう料理人になりたかった。

地元・習志野は全国的に見てもスポーツ強豪校が多く、運動の盛んな町でしたので、僕も高校時代は勉強よりもボクシングに熱中していました。部の友人たちとファミレスのバイトに申し込みに行ったら、みんなサービスの方をやらされたのに、なぜか僕だけ「キミは調理をやれ」と言われたんですよね。まぁ、僕自身は料理を作るほうが良かったんですけど、いまだに何でかなぁ、って不思議に思いますけどね(笑)。でもキッチンでハンバーグを焼いたり、パフェを盛りつけたりするのは、けっこう楽しんでやっていました。僕自身は大学に行く気持ちはなかったので、さぁ、どうしようと考えたとき、ごく自然に料理人っていいなぁ、と。小さい頃は両親が商っていた魚を獲る仕事をしたいと思っていたけど、今度はその先、魚を扱う仕事がしたいと考えていたんですよね。ファミレスの調理のアルバイトが楽しかったことや、当時読んでいた料理漫画の影響、テレビ番組『料理の鉄人』で見ていたシェフたちのカッコ良さにも、憧れていました。そしてやるならフランス料理がいい、と決めたのは、やっぱりフレンチのシェフがかぶっているあの高いトック・ブランシェを、いつか自分もシェフになってかぶってみたいと夢見たのが、決め手だったと思います。高校卒業後、僕は知人の紹介で横浜にあるフランス料理店『TERA’S』に入ることができました。オーナーシェフは当時のフレンチ界の気鋭のメンバーで構成されていた“クラブ・デ・トラント”の一員だった方でした。ここで2年半お世話になり、全く何も分からないところから、オーセンティックな正統派のフランス料理を、一から仕込んでいただきました。

フランスで働くことを夢見て必死にフランス語を勉強。おかげで沢山のチャンスに恵まれた。

『TERA’S』で働き始めてから3ヶ月ぐらいで、僕は『将来、フランスに行って修業しよう』と本気で考えるようになりました。少ないお給料の中から大金をつぎ込んでフランス語の学校に通い、高価なフランス語の辞書をローンで買い、少しずつフランス行きの準備を始めました。それでもお金が足りなかったので、休日の昼間は系列の洋菓子屋さんで働かせてもらい、バイト代を稼ぐともに、お菓子の勉強もし、夜は語学学校でみっちり勉強。まだ18、9歳ですから、ときどき友人からの遊びの誘いもありましたけど、一切断っていたので、友人はさーっといなくなりましたね(笑)。それでもなかなか渡航費用は貯まらず、給料日前は部屋のどこかにお金が落ちてないか、というビンボー生活。まぁ、食事だけは店でまかないを食べさせて貰っていたので、ありがたかったですけど。本当に真面目に働いていましたので、シェフからも信頼され、店を辞める頃には、仕事も一通りやらせてもらっていました。辛い修行時代の話をよく聞きますが、幸い僕は逃げ出そうと思ったこともなく、仕事が難しくなるにつれ楽しくなってきたし、同時に、料理に対しての疑問もどんどん増えてきました。その答えを知りたいと思ったのも、フランスに行きたい大きな理由でした。渡仏前に、まず僕がやったのはフランス版の『ミシュランガイド』を買ってきて、めぼしい店をリストアップ。そして働かせて欲しいという手紙を書き、フランス語の先生に添削してもらい、毎晩手書きで手紙を書き、100通ぐらい送りました。そのうち2通だけですが、働かせてやってもいい、という返事が来たんですよ。それはもう、本当に嬉しかったですね。

フランスで働くことを夢見て必死にフランス語を勉強。おかげで沢山のチャンスに恵まれた。

1998年、21歳になった僕は念願かなってフランスに行きました。生まれて初めての海外、初めての飛行機。キャビンアテンダントがサーブしてくれたドリンクに「いくらですか?」と聞くほど無知だったことも懐かしい思い出です(笑)。すぐに返事をくれたブレス地方の三ツ星レストラン『ジョルジュ ブラン』で半年ほど働きました。その後はリヨンに移り、一ツ星の『ピエール オルシ』で働きました。そのころ知り合いから「ジュネーヴは料理のレベルが高いよ。ジビエに規制もないし」という話を聞き、俄然興味がわいて、スイス・ジュネーヴの店『ドメーヌ ドゥ シャトー ヴュー』に入りました。この店で過ごした2年間は、僕にとって本当に素晴らしい経験になりました。
最初は肉料理のつけ合わせ担当からスタートし、その後は前菜すべてを任せてもらえるまでになりました。郊外にありながら大人気の店で、毎晩満席。仕事開始の7時から夜中1時まで忙しく働き、定休日前日は、店を閉めた後、朝4時まで店を徹底的に掃除。仕事の量はハンパじゃなかったけど、フランスではできないジビエ料理も自由に作ることができたし、どんな質問をぶつけても、シェフが全て丁寧に教えてくれます。気の抜けないたいへんな2年間でしたけど、とにかくやりがいがある店でした。まだ若くてガッツもあったし、やはりある程度フランス語ができたことが相当役に立ったと思います。こいつフランス語ができるのかと思われると、先輩がいても、こっちもやってくれとか、どんどん仕事が増えてくるんです。現地の友人もどんどん増えて、仕事のあと飲みに行ったり、一緒にスキーに行ったり、楽しい思い出もたくさんあります。やっぱり努力してフランス語を勉強しておいて良かったと思う経験が、何度もありました。

すべてが衝撃的だったスペイン料理。滞在を延長して働き、最後はシェフを任された。

フランスでの修業は5年ぐらいと考えていたので、最後に憧れのバスク地方で働こうと思い、フランス・バスクにあった『ル フロントン』でスーシェフとして働きました。ちょうどその頃、ヨーロッパではスペイン料理が俄然注目され始めていました。フェラン・アドリアの『エルブジ』がすごいとか、噂がどんどん聞こえてきます。フランス・バスクからサン・セバスチャンは近いので食べに行ったら、もう衝撃的なおいしさなんですよ。すごい!なにこれ、同じバスクなのにこんなに違うの!?って。僕にとっては衝撃的でした。そろそろ帰国しようと思っていましたけど、もう1年延長して、スペインで働いてみようと思い、たまたま『ル フロントン』に来ていたスペイン人のセップ茸の業者さんに仲介を頼み込み、紹介されたのがサン・セバスチャンの『カーサ ウロラ』でした。
初の日本人として雇ってもらったものの、最初は、何だこいつ?みたいな扱い。ジャガイモの皮をむき、レタスをちぎり、下っ端からのスタートです。『カーサ ウロラ』は最先端のスペイン料理を提供するタイプの店ではなく、トラッドでオーソドックスなバスク料理のレストラン。郷土料理を学びたいと思っていた僕にはぴったりの店でした。働くうちにどんどん仕事が増えていって、2年後にはシェフを任されました。シェフともなると、いままでは料理を作っていれば良かったけど、スタッフとコミュニケーションも取らなくてはいけないし、全ての責任を負う立場。ここではいろんなことを学びました。5年の予定が9年になりましたけど、下働きからシェフまで、ヨーロッパですべてを経験できたのは、かけがえのない財産になっていると思います。あまりに長くいすぎたのか、日本に一時帰国した時に、成田からの京成線の中で、当時流行っていたガングロギャル達を見て、ここはホントに日本なのか!?と度肝を抜かれたこともありました(笑)。フランス、スイス、スペインと三つの国で海外修業し、僕は2006年に帰国しました。

すべてが衝撃的だったスペイン料理。滞在を延長して働き、最後はシェフを任された。

今回お教えする料理『白インゲンとアサリのサルサベルデ』は、スペインで衝撃を受けた料理の一つです。滞在中、ときどき各地のワイナリー巡りをしていたんですが、スペイン北部の『レミレス・デ・ガヌサ』を訪れたとき、これが出てきてびっくりしたんですよ。こんな山の中でおいしいシーフード料理が食べられるなんて、と。淡白な白インゲンが、たっぷりとアサリの旨みを吸い込んでいて抜群においしかった、忘れられない料理なんです。もしかしてちょっと茹で過ぎかも、というややホロっと煮崩れたインゲンがおいしいので、ぜひ柔らかめに煮て、しっかりとあさりの出汁を染み込ませて召し上がってください。

白インゲンとアサリのサルサヴェルデ

白インゲンとアサリのサルサヴェルデ

コツ・ポイント

柔らかく煮た白インゲンと、アサリから出たおいしいダシがからまって、さらに美味しくなる料理なので、インゲンはゆっくりと柔らかくなるまで煮ましょう。パセリの量が多いですが、多いほどおいしくなり、味にメリハリが出るので、たっぷりと入れましょう。

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