ピックアップシェフ

杉本 敬三 Restaurant La FinS (レストラン ラ フィネス) お客様といい信頼関係が築ける料理人でありたい。目指すのはお寿司屋さんのようにわがままが利く店。

レストランは劇場のような場所。居心地のいい空間でいちばん食べたいものを提供したい。

19歳でフランスに渡り、実力社会の現場を身をもって体験した。

私がフランスに渡ったのは専門学校を卒業した19歳の時でした。当時はフランスまで行かなくてもいいかなと思っていたんですが、『ル・マンジュ・トゥー』の谷昇シェフから年功序列の厳しい日本で働くよりも、チャンスをくれる国でスタートを切るのもいいんじゃないかというアドバイスをいただきました。私自身もその厳しさは肌で感じていましたし、日本で10年下積みするより、自分の料理がどこまで通用するかフランスで試したいと感じたんですよね。
生意気なようですが、フランスに行ってもある程度自分の料理はできる自信はありましたし、シェフをやれと言われてもすぐにできるよう準備をしていました。
フランスではロワール、モンペリエ、再びロワール、そしてリモージュと主にフランス南西部の地方都市で約12年間過ごしました。最初は研修生ビザで行きましたので、23歳でシェフを任せられるまでの4年間、1円も給料はもらっていません。でも住むところと食べるものはあるので、贅沢をしなければ生活できましたし、フランス滞在中も年に一回帰国しては、自分自身で企画した料理フェアをやっていました。毎年、レストランがオフシーズンの1月にひと月ほど帰国していたんですが、28日間ぐらい連日フェアを開催したんですよね(笑)。毎回多くの方が私の料理フェアに来てくださったおかげで利益をあげることができたので、そのお金でワイナリーをめぐってワインの勉強をしたり、フランス国内の有名レストランの食べ歩きをしたりすることができました。
最初の修業先ではいちばん下っ端でしたが、先輩の調理人が魚をおろしているのを見て「オレにやらせて」と頼み、彼よりずっと早くきれいに下ろせたことがあります。それを見ていたシェフに「お前、明日から魚のシェフになれ」と言われました。そうやって仕事を任されるようになっていくんですよ。フランスは実力社会ということを、毎日身をもって体験しました。

19歳でフランスに渡り、実力社会の現場を身をもって体験した。

自分の個性を信じ、それを料理に出すことを学んだ12年間のフランス修業。

シェフを任せられたのは23歳の時です。前のシェフが急に辞めることになり、お前がやってくれと言われ、大丈夫です、と即答しました。その当時の料理界は『エル・ブジ』がとてももてはやされていた時代でしたから、例えばわさびを使うとか、日本の食材を取り入れるとか、日本人シェフらしさを出さないとミシュランの星が取れない、みたいな風潮が強かったんです。お客様からも、日本らしさをもっと出しなよ、と言われたりしてましたね。
でも私は日本人シェフだから日本風、みたいなことがあまり好きじゃなかったんです。どちらかといえば、コテコテのフランス料理をやりたかった。パリではなく地方の店で働くことを選んだのも、私が作りたいフランス料理がやりやすかったからなんです。地方とはいえ、コース料理が2万円前後のレストランですから、オマール海老もトリュフもフォアグラもキャビアも出します。フランス料理の高級食材も使いながら、さらにその地方の特色も感じられる料理を作りたい。そうやってシェフとしての個性を出していきました。
12年間のフランス滞在で最も学んだことは、「個性を出せ」、「個性を信じろ」ということです。これは親しくしていたワイン醸造家の方の言葉ですが、いまもなお私が最も大事にしている言葉です。
私のような独学者的な料理人、自分では“オトディダクト”と呼んでいますが、たゆまぬ努力を続けて自分だけの個性を出しながら、徐々に評価が高まり、認められていきたいと感じています。そのワイン醸造家の方も、最初は無名だったものの他人と違うことをしながら個性を発揮し、それが良いワインになり、徐々に評価されていったそうです。自分を信じながらひたすら個性を発揮し、料理を一生懸命続けることで、あそこはおいしいね、と少しずつ認められていく、そういう料理人になりたい思っています。自分の個性をどう発揮してお客様に喜んでもらえるか。そうやって末永く自分のやりたい仕事ができたらと思うんです。

自分の個性を信じ、それを料理に出すことを学んだ12年間のフランス修業。

食べる方との信頼関係の上で成り立つ期待感とサプライズがある料理を出したい。

日本に帰国したのは2011年の3月でした。30代になったら日本で店を持つという当初の目標を達成するため、12年ぶりに日本へ戻った10日後に、東日本大震災が起きました。それで開店準備は半年間延期し、11月ごろから再び物件探しを始めました。第一に優先したことは安全性とバリアフリーの店作りです。フランスでは新しい店を出すにはバリアフリーでないと許可がおりませんが、日本では店内に段差がある店がほとんどなのです。私はそこにこだわりました。そうやって完成した私の店『レストラン ラ フィネス』は、入口から店内全ての場所を車椅子の方でも難なく動けます。内装も丸みのある壁、丸テーブルと曲線を生かしたものにしました。美しい曲線を描くような手の込んだ内装は、腕利きの職人でないと作れないのです。私の料理とともに日本の職人の技術も世界に見せたかったので、時間はかかりましたけど、相当こだわって店を作り上げました。
2013年、若き料理人コンペティション【RED U―35】で初代グランプリをいただいた料理も、店にいるときと同じ気持ちで作りました。コンテストの場合、レストランで出さないような料理でも問題ないし、ビジュアル面を重視した料理を出す方が多いと思いますが、私は例えばお客様に卵の料理を作ってくださいと言われたら、こういうものを作るかな、という考えで構成しました。
決勝戦では、きっと他の方々は現代フレンチ系の技術を見せるものを持ってくるだろうと思ったので、私は超がつくほど基本中の基本、古典というか学校の教科書に出てくるようなものばかりで構成し、組み立てました。作業中ベシャメルソースを作っていたら、ある審査員の方に「え、きみ、大会でベシャメル作るの?」と感心されました(笑)。結果グランプリを受賞することができて本当に良かったです。おかげさまで予約もたくさん入るようになりました。
うちはお寿司屋さんのようにわがままの利くフランス料理屋、を目指しています。常連になればなるほど美味しいものが食べられる店。2度、3度とお越しいただくお客様とは、予約のときに電話でじっくりコミュニケーションをとるようにしています。例えば、予めメニューが決まっている店では「白アスパラガスが食べたいから出してくれ」とは言いにくいでしょうけれど、私はお客様の要望をお聞きしてメニューを話し合います。レストランでのディナーはひとつの劇場というか、大事なイベントですので、おまかせで今夜は何が食べられるのかな、というより、食べたいものがいただけるという期待感+サプライズがあったほうが楽しいと思うんですよね。これからもお客様との信頼関係を大切にしながら、期待に応えるシェフでいられるよう、努力していきたいと思っています。  (終)

食べる方との信頼関係の上で成り立つ期待感とサプライズがある料理を出したい。

ロワール地方で初めて食べて感動した温かい「パテ ド カンパーニュ」。

今回お教えする温かい「パテ ド カンパーニュ」はロワールに行って初めて食べた思い出の料理です。フランスの田舎の定食屋風のレストランでは、大きく焼いた「パテ ド カンパーニュ」がオードブルのテーブルにドンと置いてあり、セルフサービスで好きなだけどうぞ、と食べ放題なんです。大きく作れば作るほどおいしい料理なんですよね。それまでは冷たくして食べるイメージだったんですが、重石でプレスをせずに、オーブンから出して、焼きたてのところをそのまま食べてもすごくおいしいと思います。
美味しく作るコツは、まずひき肉をねばりが出るまでよく混ぜること。そのあとにほかの材料も加えてさらによく混ぜます。火入れの際、柔らかくしっとりと仕上げたければ、湯煎にしながら焼いてください。この温度調節を守って焼けばうまく仕上がりますので、ぜひ作ってみてください。

パテ ド カンパーニュ

パテ ド カンパーニュ

コツ・ポイント

パテですので、湯煎をせずに、オーブンで直接焼き込みます。 噛めば噛むほどうまみが出てくるパテ ド カンパーニュです。 ※今回、パテの型はフランス、アルザス地方のストーブ社の鉄鍋を使用しています。 ※料理時間は加熱時間約60分を除きます。

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