ピックアップシェフ

飯塚 隆太 Restaurant Ryuzu (レストラン リューズ) フランス料理ならではのソースの魅力と、素材感をダイレクトに出すひと皿を。

「いま行動すべき」という心のひらめきに従ってやってきたこと全てが、実を結んでいる。

フランスの空気を楽しみ、日本にいては学べない料理の“エスプリ”を知る。

1997年に僕はフランスに渡りました。ロアンヌにある『メゾン トロワグロ』で働き始めたころです。折悪しく、日本人の料理人は雇わないという風潮がフランス全土に沸き起こりました。というのも、ある有名レストランが脱税で摘発され、その店にいた日本人の料理人が不法就労で強制送還されるというニュースがクローズアップされたため、そのとばっちりで日本人が働きにくくなってしまったのです。
当時『メゾン トロワグロ』には僕を含め4人の日本人がいたのですが、他の3人は他店に移ったり、一時帰国してしまいました。彼らにはいろいろ助けてもらっていたのですが、日本人は自分ひとりになってしまい、もうそうなると、分からない事はフランス語で聞かなくてはいけないので・・フランスなので当たり前ですが(笑)、必死に独学です。店が終われば職場のフランス人と飲みに行き、できるだけコミュニケーションをとるようにしていました。しかもトロワグロで働けるのが半年間という限定だったので、仕事をしながら次に働く店も探さなくてはならなかった。結局、フランス国内では見つからず、一旦、ルクセンブルグに移り、一つ星の『レア・リンスター』で働きました。年明けに以前から紹介で決まっていたフランスのアルボワにある『ジャン・ポール・ジュネ』で働き、再び『レア・リンスター』に戻り、1998年の冬に帰国しました。フランスという国の空気に触れることがいちばんの目的だったので、いろんなものを見て聞いて、そして各地の様々なフランス料理をたくさん食べて、十分にいい学びの時間を過ごせたと感じています。
1998年に帰国したのにはもうひとつ理由があります。話は調理師学校時代に遡るんですが、そのころキャリア10年以上の料理人が参加できる【Sopexa(フランス食品振興会)料理コンクール】というものがあるのを知り絶対エントリーしたいと決めていたんですよね。キャリア3年目のときに、新人料理人コンクールでグランプリをいただいていたので、次はこれを目指そうと、1999年に開催される【Sopexa】を大きな目標に帰国しました。

フランスの空気を楽しみ、日本にいては学べない料理の“エスプリ”を知る。

料理人を一時的に辞め、料理学校の講師に転身。かけがえのないものを学ぶ。

ちょうど帰国した頃、親友の渡辺雄一郎氏が『タイユバン・ロブション カフェフランセ』のシェフに就任、彼に「二番手で戻ってこないか」と声をかけてもらい、戻る予定のなかったロブション系列店で再び働くことになりました。そして大きな目標だった【Sopexa】にもエントリー。全国から300人程の応募がある大きなコンクールでしたが、無事予選を勝ち抜き、ファイナリストとして決勝大会に進みました。決勝は直前に食材を知らされ、4時間で料理とデザートを仕上げるというスタイルで、テーマは「仔羊」でした。料理はいいものが作れたのですが時間をオーバーしてしまい、入賞できなかったのが今も悔しいですけど、いい経験になりました。
そのころロブションと日本料理『青柳』がコラボレーションするという機会があり、ロブションのキッチンを使って『青柳』小山裕久氏のチームが料理をし、僕がアテンド役として参加することになりました。それがきっかけで小山氏から、晴海で始める料理教室のフランス料理講師をやってくれないかと打診されました。正直なところ学校の講師に興味はなかったんですが、日本料理の包丁技術に魅了され興味を抱いたのと、将来自分の店をやりたいという夢があったので、そういう経験も役に立つかもしれないなと感じました。それまでの僕は、料理人は奥で黙々と料理だけ作っていればいいと思っていたタイプでしたけど、これはいいチャンスだと。その読み通り、2年半の講師の経験で、人に教えるとはこういうことなんだ、ということが明確になりました。スタッフに教えるとき、昔の僕なら「こんな感じだよ、分かるだろ」だったけど(笑)、ちゃんと理論的に伝えるようになりました。
そして再びロブションに戻り、2004年から『ターブル ドゥ ジョエル・ロブション』シェフ、2005年から六本木の『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』シェフを任され、5年間働きました。ジョエル・ロブション氏に最も教えられたのは「仕事の正確さ」でしょうか。シェフともなるとロブション氏の全てのダメ出しもOKも、ダイレクトに僕に来ますから、厳しいです。そして、レストランに来られるお客様を楽しませなくては意味がないと仰っていました。それは料理を提供するだけでなく、お客様とコミュ二ケーションを取ることが非常に大切だという教え。その哲学は、自分の店を持ってとても大切だと改めて感じていますし、それができたからこそ僕の店『レストラン リューズ』にもロブション時代からのお客様が来てくださっていると思います。

料理人を一時的に辞め、料理学校の講師に転身。かけがえのないものを学ぶ。

自分がいまいちばん食べたいと感じる旬の素材をダイレクトに伝えるひと皿を。

今までの人生を振り返ると、次の新しいことをしようと思ったとき、必ず心の声というのか「いまがその時だよ」という“ひらめき”に従って行動してきたように思います。その声に逆らわず新しい職場、未経験の仕事を選んで、不思議と失敗したと思うことはひとつもないですね。独立しようと思ったのも、そのひらめきに従いました。
おかげさまで2月に3周年を迎えましたけど、2011年の2月1日に『レストラン リューズ』を開店したものの、そのひと月後に大震災が起きました。しばらく経って、お客様がぽつりぽつりと戻ってきましたけど、ずっと赤字続きです。収入はないのに支払いは嵩む一方ですが、スタッフの給料は払わなければなりません。お金の面では本当に厳しかったですよ。
しかしその年に「ミシュラン」で一つ星をいただきました。『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』時代に二つ星をもらっているので、嬉しいというよりやっとスタートだな、という気分でしたね。だから翌年二つ星をもらったとき、心の中で「自分の力で取れたんだ」と本当に嬉しかったです。まぁ僕の力というより、スタッフの頑張りだと思っていますけど(笑)。
僕が料理において最も大切にしているのが素材感です。日本料理の方達に学ばせて頂いた包丁技術も取り入れていますし、フランスの素材と日本の素材を使いながら、自分がいまいちばん食べたいと思う料理をお出ししています。僕のスペシャリテのひとつに「椎茸のタルト仕立て」がありますが、これは『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』の時に考案し、ロブション氏にも褒められた一品です。最初はフランス産のセップ茸を使おうと試みましたが、なかなかいい状態のものが安定して入らない。それで椎茸で作ったら、馴染みもありながらすごくおいしいものができたんです。夏には鱧、鮎、鮑など、日本ならではの素材もたくさん使います。季節の香りあふれる新鮮な素材と向かい合って、どういう料理に仕上げるか、僕自身も苦悩しながらも楽しんで作っています。  

お店を開いて、早や3年、とはいえまだ3年経ったに過ぎません。5年10年とお客様に愛されるお店になるよう頑張りたいと思います。スタッフ達と辛いながらも楽しく仕事をしていきたいです。
僕達自身が楽しまなかったら、お客様も楽しめないですからね!!   (終)

自分がいまいちばん食べたいと感じる旬の素材をダイレクトに伝えるひと皿を。

春に旨みを増す貝と鮮烈な香りがする原木椎茸を使う、エスカルゴ風のひと皿

今回お教えする料理『椎茸とバイ貝のブルゴーニュ風』は、春においしい貝と原木椎茸を使います。フランス料理といえばエスカルゴが有名。専門学校時代に神戸でアルバイトをしていた時に、街のところどころにエスカルゴの看板があってフランスに憧れを抱いたのを憶えています。これはエスカルゴ料理をアレンジして、簡単に貝をおいしく食べられる料理です。
バイ貝に合わせるのは椎茸。僕は椎茸にも忘れられない思い出があるんです。故郷の新潟県十日町市は雪国ですが、雪が溶けるころ、山菜採りに行くのが楽しみでした。あるとき捨てられた椎茸の原木から見事な椎茸が生えていて、それを採って持ち帰って食べてみたら、その鮮烈な香りとおいしさにビックリしたんですよね。椎茸は一年中出回っている素材で季節感があまりなくなっていますが、僕にとっては春を告げる香りなんです。いま最もおいしい原木椎茸と春らしい素材のバイ貝と香り高いガーリックバターソース、春を感じる組み合わせです。素材が固くならないよう食感を残すように火加減に気をつけて、おいしく仕上げてください。

椎茸とバイ貝のブルゴーニュ風

椎茸とバイ貝のブルゴーニュ風

コツ・ポイント

椎茸と貝の素材の食感と香りをよりいっそう味わうためには、バイ貝を炒めすぎないこと。 味の決め手になるガーリックバターソースの火加減は必ず弱火で。

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