ピックアップシェフ

橋本 幹造 一凛 好きなことにかけてはとことん極める性格。その集中力が料理人としての武器だと思っている。

日本料理の世界から一度離れ、日本全国の食材を見て回った経験が、その後の人生を変えた。

真面目な優等生から一転して、高校時代は中華料理店のバイトに明け暮れていた。

37歳のとき東京の神宮前に開業した私の店『一凛』は、今年で8年目になりました。18歳で京都の料理屋に入り、日本料理の修業を始めた頃は、まさか自分が将来東京で店をやるとは想像すらしていませんでしたが、たくさんの良い方との出会い、食材との出会い、運命を変えるチャンスに恵まれたおかげで、いまも変わらぬ情熱を持って料理と向き合えるのは、とても幸せなことだと思っています。
京都で生まれた私は建築家だった父に「幹を造る」という意味合いを込めて、幹造と命名されました。今となっては違うものを“造って”いるのですが、父譲りなのか、子供のころから手先が器用なほうで、何かをコツコツと作ることが大好きな子供でした。プラモデルやラジコンを見た目も美しく、丁寧に作り上げては満足する、そんな子供時代。学校でも真面目な生徒で、ガリ勉といえるほど勉強にも熱中し、中学2年までは比較的成績もよいほうでした。
ところが中3で“友情”に芽生え、その交友関係に毎日忙しく(笑)、学校の勉強がおろそかになってしまいました。高校には入学したものの、学校生活よりもバイトに明け暮れた3年間でした。
バイト先は下町の中華料理店。“賄い食べ放題”という張り紙に惹かれ、わぁ、毎日唐揚げや酢豚が食べられる!と勇んで働き始めたものの、賄いは自分で作らなきゃならないというルール(笑)。最初は毎日唐揚げを作って、好きなだけ食べていたんですが、やっぱり飽きますよね。それでチャーハンやエビチリとか、どんどん作り方を教えてもらい調理方法を覚えていったので、私が鍋を振って料理を出す機会をいただくこともあり、高校を卒業する頃にはだいぶ料理の腕があがっていたと思います。

真面目な優等生から一転して、高校時代は中華料理店のバイトに明け暮れていた。

たまたま通りかかった料理屋に自ら就職を頼み込み、日本料理修業をスタート。

高校を卒業する条件として、先生に「就職先を決めること」と命じられ、自分で就職先を探し始めました。ツテをたどってあるフレンチレストランの面接を受けに行きましたが「ウチはレシピもオーダーもフランス語なので、フランス語を勉強してください」と言われました。もうびっくりですよ。勉強したくないから働くのに、勉強するってなんやねん、って(笑)。すぐにその場で謝って、無理です、できません、と帰ってきてしまいました。
とにかく早く就職先を決めなくてはいけないと焦りはじめた頃、たまたま通りかかった料理屋の勝手口が開いていて、忙しく働く人たちが見えたんです。思い切って入って行って「働かせてもらえませんか」とお願いしたところ、いきなり「じゃ、それ全部洗って」と洗い場の仕事を命じられました。こっちは3年間の中華のバイトで培った洗い物のワザがあるので、軽々とやってのけたら、その店で働けることになりました。
思いがけなく日本料理の世界に飛び込んだのですが、修業は厳しかったですね。みんなでお喋りしながら仕事していたと思いきや、師匠が現れると一気に静まり返り、空気がピーンと張り詰めるほどの緊張感が生まれます。厳しい仕事に耐えられず辞めていった人もいたし、疲労で倒れてしまう人もいました。それでも私は仕事が嫌で辞めたいと思ったことは一度もなかったですね。
初めての給料が思ったより少なかったので、これはきっと間違いだろうと思い、お女将さんに「金額合ってますか?」と聞いたところ「仕事してご飯も食べさせてもらって、お給料までもらえるんだから、ありがたいと思いなさい」と言われ、そのとき「オレはこういう世界にいるんだ」と初めて気づきました。
それでも中華料理の経験がいい下積みになり、包丁を持たせていただいたのも早かったですし、5年間の修業で煮物以外は全てやらせていただきました。しかし5年も頑張ったけど、そうはいっても大事な仕事を任せてもらえるのは、まだまだ先の話ですし、料理人としての将来に少々不安を感じてしまったんです。

たまたま通りかかった料理屋に自ら就職を頼み込み、日本料理修業をスタート。

全国各地の生産者を訪ね、おいしい食材がどうやって生まれるのか徹底的に追求。

店では仕入れの仕事もしていたので市場へ出入りしていましたが、昨日千円だったものが、今日は二千円になっていることがあり、何なんやこれ、と理由がわからなくて市場でもめたこともありました。当時は何で値段が毎日変わるのか、その仕組みも全く知らなかったんです。
あるとき店でお世話になっていた仕入先の方に、市場にはセリがあって、相場は毎日変わるものだと教えていただき、「へえ、そういうことなんや」と興味がわきました。今まで、ほとんどの食材は毎日箱に入ったものが店に届き、値段のことは全く知らずに料理していました。それで猛然と食材のことを知りたくなり、その願いを店の師匠に正直に打ち明け、料理の世界から一旦離れることにしたんです。

それからは食材仕入れの会社の社長に付き添って日本全国の産地をくまなく歩き、食材を買い付ける生活が始まり、人生が180度変わりました。産地に出向いて、畑の土を触って肥沃な畑は土が温かいとか、その場で野菜を食べさせてもらい、おいしい野菜ができる条件を学びました。海に近い畑は塩分があるから野菜が甘くなるとか、様々なことを教えてもらったと思います。

そうやって2年ほどどっぷり八百屋の仕事にハマっていたわけですが、いま思えば、私は一度興味を持つと、とことん極めたい性格のようです。子供の頃のプラモデル、中学時代の猛勉強、趣味のクルマ、そして中華料理のバイトや日本料理の修業も全てそうでした。好きなことをとことん極めたい、という欲求に突き動かされながら生きているというのかな。その反面、興味がないことには全く見向きもしないんですが(笑)。
2年間、食材の仕事を通じて生産者の方々の苦労も痛いほどわかり、食材に対する考え方がガラリと変わってしまったんですね。この経験は料理人としての自分にとって、すごく大きな財産になりました。  (後編へ続く)

全国各地の生産者を訪ね、おいしい食材がどうやって生まれるのか徹底的に追求。

飲めるほどおいしい土佐酢ときゅうりの鮮やかな緑色を活かした、夏らしい酢のもの。

きゅうりは一年中出回っている野菜ですが、旬は夏。最も美味しくなる時期のきゅうりの鮮やかな緑色を活かし、新鮮な鯵と合わせる夏らしいメニューの酢のものをお教えしたいと思います。
いちばん覚えていただきたいのは、きゅうりのおろし方。きゅうりに限らずですが、野菜のおろし方を間違っている方が多いと感じています。
「おろす」という日本料理の技法は実はとても奥が深く、京料理でよく使う蕪は、その種類によっておろし方が違うほど繊細に扱われているんです。たぶん大根でも長芋でも、力まかせにおろしている方が多いのではないでしょうか。それでは舌触りも悪いし、おいしくはなりません。
まず、おろし金の尖っている歯の部分を下方向にして、頭の部分を少しカットした2本のきゅうりをおろし金に立て、2本を一緒に回すように動かします。力は全く要りません、ぐるぐると円を描くようにおろしていくだけです。おろしたきゅうりと土佐酢を合わせれば、夏らしい「みどり酢」の完成。
酢のものはあまり家では作らないという方も多いようですが、酢のものと考えるから作りづらいのかな、と思います。だしのうまみのある土佐酢は、そのまま飲めるほどおいしいし、二杯酢や三杯酢ほど酸っぱさがきつくないので、お子さんも抵抗なく食べられると思います。「みどり酢」にオイルを合わせればドレッシングにもなり、焼いたお肉にかけてもとても美味しいですよ。土佐酢はレモンやすだちをちょっと絞って料理にかける感覚で、いろいろな料理に使えますので、多めに作って冷蔵庫で保存しておくのもいいと思います。

鯵のみどり酢

鯵のみどり酢

コツ・ポイント

「おろす」とは「切る」ということ。力を入れておろしては「つぶす」になってします。力を入れすぎず大きく円を描くようにゆっくりとおろすのが、美味しくなる秘訣です。

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