ピックアップシェフ

田村 亮介 麻布長江 香福筳 何回食べても、またすぐに食べたくなる、 大好物のトンカツとチャーハン。

剣道に明け暮れていた子供のころ、試合の朝に母が「勝ってこい!」と 必ず作ってくれたのがトンカツ。

実家は下町の中華料理店。幼い頃から店を手伝い、厨房で料理もしていた。

僕の実家は祖父が開業し、父が受け継いで、いまも営業している中華料理店ですので、僕で三代目ということになります。祖父母は山梨と千葉の出身で、戦後、東京に出てきて、錦糸町あたりで屋台のラーメン屋さんを始めました。戦後の食糧難の時代、材料の調達もたいへんだったようですが、そのラーメン屋はとても繁盛したそうです。つい最近、僕の店に祖父の親友の娘さんがいらしたのですが、やはり祖父はとても真面目で、商売の才覚に長けた人だった、という話を聞きました。僕の記憶の中でも、祖父はとても厳格な人で、常にきっちりと仕事に取り組んでいた思い出があります。そして僕の父を含め、祖父の3人の子供たちは、全員中華料理の道に進んでいます。
屋台の商売を成功させた祖父は、東京の下町、三ノ輪に念願の店を構えました。東京に唯一残る「都電荒川線」の発着駅のある町の中華屋さんです。店は高級店ではなく、近所に住む顔なじみの方々が、気軽に食事に来られるような、ごく普通の街の食堂でした。僕は三ノ輪で生まれ、その店の二階で育った下町っ子です。一階が店舗で二階が住居だった最初の店は、僕が小学生の頃、地域開発の波が押し寄せ、マンションに建て替えられました。マンションの一階が店になり、僕たち家族は再び2階に住むようになりました。その後まもなく、バブル経済で世の中が好景気なり、地域密着型のうちのような店も、とにかく毎日、休む暇もないほど忙しかったのが、子供のころのいちばんの思い出ですね。

実家は下町の中華料理店。幼い頃から店を手伝い、厨房で料理もしていた。

母も父と一緒に店で働いていましたから、僕と弟、妹の3人兄妹は、定休日以外は、毎日店に行ってごはんを食べていました。カウンター席にお客さんと並んで座って夕食を食べながら、その合間に、お客さんが来たら水を出したり、料理を運んだりしていましたよ。店は出前もやっていたので、土日の夕食どきなんかは、出前の伝票だけでも20枚ぐらいダーーっと並んでいるんです。僕も岡持ちを持って、近所の家に料理を届け、帰ったらまたすぐ次の出前…と、休む間もなく次々に料理を運んでいました。料理の仕方も、毎日父のそばで見ていたので、自然と体で覚えてしまったことも多かったですね。店で働いていた職人さんから、中華包丁でネギのみじん切りのやり方を教わったりしていたし、日曜の朝には、店の厨房に入って、ひとりで目玉焼きを焼いて食べたりして、料理は子供のころから好きでした。高校を出て、調理師学校に入ったときに、他の同級生と比べて料理の基礎がある程度できていたのも、店で覚えたおかげだと感じました。
でも、実家が食べ物屋さんというのは、嬉しい半面、ときどき面倒なこともあるんですよ。中学生ともなると、友達とファーストフード店に行ったりし始めますよね。そのころ家の二軒隣に、190円のラーメンが売りの店ができたんです。午前中で学校が終わる土曜日には、僕の友達が、こぞって食べに行っていましたが、両親は「絶対に行ってはいけない」と言うんです。まぁ、同じ業種の飲食店だし、行かせたくなかったんでしょう。親の目を盗んでこっそり行こうものにも、すぐ隣ですからね。でも実は、親に隠れて1、2回、“偵察”、と称して内緒で食べてきましたけど(笑)。

試合の日は朝からトンカツ。これ食べて勝ってきなさい、と送り出された。

僕と弟は、小さい頃からずっとスポーツをやっていて、僕は剣道、弟は野球と、相当熱心に練習を続けていました。剣道の区の大会がある日は、朝から母がトンカツを揚げ、朝食にトンカツとごはんとか、大盛りのカツ丼が出てくるんですよ。うちの店は中華料理店ですが、メニューにトンカツやカツ丼などの定食メニューもあったので、作りやすかったんだと思いますが、アツアツに揚がったトンカツを見て、母の「試合に勝ってきなさい」というメッセージを感じました(笑)。僕の大好物ですから「わー、朝からトンカツだ、よっしゃ!」と平らげ、牛乳をゴクゴク飲んでパワーをつけて、試合に出かけていました。

試合の日は朝からトンカツ。これ食べて勝ってきなさい、と送り出された。

実家が商売をやっている方は、みんなそうだと思いますが、運動会などのイベントに、両親が来ることは絶対にないので、いつも友達の家族に混じって、お弁当を食べなくてはならなかったり、家族で食卓を囲んだり、ということはほとんどできません。ドラマで見るような、家族団らんの食事風景に憧れている部分もありましたが、応援にはいけないけど、頑張ってこいよと、母が作ってくれたとんかつで、僕の気分はいつも上がったし、試合もいい成績をおさめていました。一枚ではなく、皿に二枚乗っているというのも嬉しいでしょう。母の口癖だった「肉を食べたら、その三倍の野菜を食べなさい」という教えは、いまも忠実に守り、千切りキャベツは大盛りして、必ず食べるようにしています。トンカツのうまさとは、衣のさくさく感と肉のジューシーさと、瑞々しいキャベツのシャキシャキ感が、三位一体になったおいしさですよね。それを求めて、いろんな店を食べ歩いていますが、口の中で肉がとろけるように柔らかいとんかつは、ちょっと苦手。やっぱり肉に歯ごたえがあり、肉汁がじゅーっと出てくるようなとんかつが、僕の好みです。

この世界に入ったことで、父と共通の会話ができるようになったことが嬉しい。

僕の店『麻布長江 香福筳』は元のオーナーである師匠から譲り受け、僕がオーナーとして引き継いて営業しています。よく「実家には戻らないのか?」と聞かれるんですが、中華の調理人を目指したころから、そういう気持ちはあまりなかったですね。それは父も同じだったようです。というのも、父は祖父の下で中華料理を習い、地域密着型の中華料理店を引き継いできた人なので、外での経験は1年ほどで、店を営んできました。そういう経緯もあり、僕が家に戻って跡を継ぐと、あそこしか見えないで、終わってしまうと考えていたようです。だから一切、「家に戻れ」と言われたことはありません。それよりも、「若いうちは人の釜の飯を食え、いろんな人と出会い、仲間を作り、視野を広げなさい」と言われました。自分ができなかったことを、息子の僕に託したかったんでしょうね。そう思うと、とてもありがたい言葉だと感じます。

この世界に入ったことで、父と共通の会話ができるようになったことが嬉しい。

思春期の頃は、ほとんど口も訊かなかった僕と父ですが、この仕事に入ってから、共通の会話ができるようになりました。あれはどうすればいいの? と料理についての質問をすると、父も嬉しそうに、丁寧に教えてくれます。そういう機会が増えたのも、この世界に入って良かったことのひとつです。僕が31歳の時、この店をオーナーから譲り受けるという話が出たときは、まず、父に相談しました。最初、父には、反対というわけじゃないけど、までして荷が重すぎるのではないか、と言われました。祖父の跡をついて、手堅く商売をやってきた父なので、相当心配だったんでしょう。この店が軌道に乗ったいま、口にはあまり出さないけれど、とても喜んでくれていると思っています。もう父もだいぶ年をとりましたし、母も病気がちなので、どんな形になるかはわからないですけど、そろそろ実家の店も、三代目の僕が、なんとかしなくちゃいけない、と思っています。

トンカツ

トンカツ

コツ・ポイント

トンカツを160度の低めの温度で揚げ始め、仕上げに強火にし、ほどよく黄金色になるまでカラリと揚げる。 ※火は下から入ります。とんかつをそのまま揚げっぱなしではなく、揚げ油をまぜることで、油の温度を均等にします。

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