ピックアップシェフ

中田 耕一郎 レストラン ル・ジャポン 和食とフレンチを融合させた新しい“日本人料理”を提供したい。

おいしい! と喜んでくれる笑顔が見たくて料理人になった。

父の影響で登山を始め、山岳部では料理の達人として人気者に。

僕は福島県いわき市で生まれ、高校まで過ごしました。父はサラリーマンで母は幼稚園教諭という、共働き家庭で育ったので、小さいころから自分で工夫して料理をすることが好きでした。 料理といっても卵焼き程度でたいしたものは作れませんが、何が嬉しかったと言えば、家族が「おいしいね、すごいね」と褒めてくれるのがいい気分だったんですよね。自分で食べるより、誰かを喜ばせたい、もてなしたいという気持ちが強い性分だと思います。僕の店『ル・ジャポン』をオープンキッチンにしたのも、目の前で食べてくださる方に「おいしい」と言われたいから。褒められて調子に乗ったまま、今に至るという感じです(笑)。
中学を卒業したら調理師学校に進みたい、と両親に頼みましたが、賛成はされず、ダメもとで地元の難関の男子校を受けたら合格してしまったんです。でも、周りは男ばかりだし、いい大学に進むための予備校みたいな高校なので、ギリギリで入れた僕は、まぁ落こぼれですよ。ただ、唯一楽しかったのがクラブ活動で入った山岳部。山登りがなかったら高校はとっくにやめていたと思います。
小さいころから父に連れられて山に登っていました。登山のいちばんの楽しみは、父の料理でした。それも普通じゃないんです。金目鯛を氷に詰めて山頂まで運び、しゃぶしゃぶにして食べたり、熟したマスクメロンを半分に切り、そこにブランデーを注いで飲んだりする人なんです。3000メートル級の頂上で、ですよ(笑)。そんな父にならって僕も山の上ですき焼きを作ったり、流しそうめんをしたり、おいしい山メシをふるまうために登っていたような感じでした。中田のメシはうまいと評判になり、合宿のチーム分けの時は、常に一番人気で指名されていたほどです。

父の影響で登山を始め、山岳部では料理の達人として人気者に。

厳しかった箱根の名店での修業。5年後まで残ったのは自分一人だった。

卒業が近づき、今度こそ調理師学校に進みたいと考えていましたが、三者面談で「第1希望は調理師学校です」と言ったら、先生に呆れられました。ただ1つだけ北海道の国立大学を受けたら、意に反して合格してしまって(笑)。
入学後は気持ちを切り替え、4年間は“人生勉強”に使おうと思い、あらゆる種類のアルバイトをこなし、お金を貯めては旅行していました。函館から京都まで自転車で行ったこともありますし、ひと月ヨーロッパを放浪したのもいい経験になりました。卒業後は大阪の調理師学校に進もうと決めていたので、就職活動も全くせず、ひたすら人生勉強一筋の4年間でした。
フランス料理を選んだのは、子供のころ見ていたTV番組『料理天国』の影響です。番組に登場する「舌平目のムニエル」や「野菜のゼリー寄せ」に憧れ、いつか食べてみたい、作りたい!とずっと思い続けていました。調理師学校の求人で、箱根のレストランを見つけ、東京に出るより、郊外でのんびりと働きたいと思っていた僕には願ったりの場所だと感じ、面接を受けにいったのが『オーベルジュ オー・ミラドー』でした。しかし噂以上に厳しかったですね。初日で辞めようと思い、3日目には勝又登シェフに「辞めさせてください」とお願いに行きました。そのときは説得されて残りましたけど、同期8人のうち1週間で半分が辞め、3年目には残り3人、5年目は僕一人。ムッシュは「お前はいまライトの8番だけど、ここは大リーグだからな」と説得するんです。そう言われると「頑張ります」となりますよね。『オーベルジュ オー・ミラドー』で働いていた期間は、悔しい、負けたくない、という思いだけで頑張り続けて認められ、3番手まで上がりました。
ただ、みんなに「おいしい」と言われたくて選んだ料理の道なのに、今の自分はそのことを完全に見失っているのではないかと時折考えることがありました。

厳しかった箱根の名店での修業。5年後まで残ったのは自分一人だった。

突然命じられたシェフの仕事。開き直って自分の料理を探していった。

『オーベルジュ オー・ミラドー』を辞めたのは28歳のとき。松尾晋平シェフの下で働きたい、とムッシュに伝えると、その場で松尾シェフに電話してくれたんです。弟子を紹介するなんて絶対しない方なのでびっくりしました。松尾シェフは独特のフュージョン料理を作っていた当時の気鋭のシェフ。「フォアグラ蕎麦」や「伊勢海老のブイヤベース」などそこにしかない新しい料理を次々に生み出していた憧れの存在でした。まず研修で1週間行くことになり、毎日まかないを作らされたんですが、『SHIMPEI』のまかないは、店にそのまま出せる商品レベルじゃないとだめ。毎日、超緊張状態で和・洋・中にエスニックなど、様々なものを作り、最後の日にシェフに誘われて飲みに行き、雇ってもらえることになりました。
『SHIMPEI』はオープンキッチンのレストランだったので、仕上がった料理を目の前のお客様にお出しし、笑顔を直に見ることができます。久しぶりに自分が料理人を目指した動機を思い起こしました。しかし3か月ぐらいでシェフが入院することになり、その後も店に戻ってくることはありませんでした。その後、病床の松尾シェフから「シェフをやってくれ」と言われたとき、正直、嬉しさよりも不安のほうが大きかった。しばらくはシェフが残したレシピを再現しようと必死にやりましたが、これでいいのかどうか、おいしいのかどうかも、よく分からないような状態。常連の方からも、やっぱりシェフがいないからねえ、みたいなことも言われ、落ち込みました。
あるとき開き直ったというか、僕のフィルターを通した僕なりのフュージョン料理を出して行くしかないと思い、自分のやり方で作るようになると、徐々に評判が上がってきました。「松尾さんとは違うけど、おいしいよ」という褒め言葉もいただけるようになりました。(後編に続く)

突然命じられたシェフの仕事。開き直って自分の料理を探していった。

失敗から学んだ思い出の料理『骨付き鶏もも肉のロースト』。

今回お教えする料理『骨付き鶏もも肉のロースト』には、実は恥ずかしいエピソードがあります。
『オーベルジュ オー・ミラドー』で修業を始めた1年目ぐらいの時、これをまかないで作って出したんですが、30人分ぐらいの鶏肉がちゃんと中まで焼けてなかったんです。いまでは当然のようにして知っている常識ですが、肉は冷蔵庫から出してしばらく置き、室温ぐらいにしてから焼くのが鉄則なんですね。それを知らずに冷蔵庫から出してすぐにオーブンに入れてしまったので、中まで火が通らなかったのです。これはフライパンで仕上げるレシピですが、くれぐれも鶏肉は常温に戻してから焼いてください。
つけ合わせの野菜は、火の通り具合を逆算して順番に入れること。ジャガイモと玉ねぎは肉と同時でいいと思います。玉ねぎは皮をつけたまま焼くとバラバラにならず、きれいに焼きあがります。トマトとピーマンはすぐに火が通るので、鶏肉がほぼ焼きあがったころでいいでしょう。フライパンに蓋をして焼いた方が火の通りも良いですが、皮目がパリッとしなくなるので、アルミホイルで蓋をします。それもピタッと密閉しないで、蒸気が逃げるようラフな感じで覆ってください。肉と野菜からでたうまみに、醤油と米酢を加えて少し煮詰め、ソースにします。ソースを和の味で仕上げるので、白いごはんにもよく合うおいしいおかずになりますよ。

骨付き鶏もも肉のロースト

骨付き鶏もも肉のロースト

コツ・ポイント

鶏肉は焼く前に室温に戻します。さらに骨と肉の間に切り込みを入れることで火の入りが早くなります。野菜も同じフライパンで調理することで、鶏の旨みを吸い込み美味しくなるのはもちろん、調理の手間も省けます。 お肉を裏返すのは1度だけ。皮目を焼くときに表面が白っぽくなるまで加熱します。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル