ピックアップシェフ

小山 進 パティシエ エス コヤマ  自分の感度を信じて、「感じて伝える」、「モノづくり」は子どもの頃の好奇心と同じ

「小山ロール」は炊きたてご飯のイメージから生まれた

父はケーキ職人。幼いころから父の仕事場で遊んでいた。

僕は京都・五条のど真ん中で育ちました。父は勤め人のケーキ職人、母は天才的に料理が上手な人でした。毎日昆布やカツオで丁寧にだしを取ることから料理を作り、京都風の薄味の味つけで、朝昼晩とうまいご飯を食べさせてくれました。
茶碗蒸しやうどんにはゆずの皮を散らし、きんぴらごぼうには黒七味がまぶしてありました。そんな食生活の中から味覚が鍛えられ、京都人のDNAを受け継いだと思っています。そのおかげで味覚に関しては、相当鋭いですよ。どんな料理を食べても、何が入っているか、隠し味は何か、まで完璧に分かります。それはおかんの料理のおかげ、僕の味覚の原点です。そんな母親ですが、田舎育ちなので、子どもの頃、両親と一緒に虫捕りや魚釣りに行くと、都会育ちの父よりも母のほうが一枚も二枚も上手。口で説明するのではなく、どういう風にすればうまくいくか、実際に見せながら示してくれました。実際にその通りにやると、虫も魚も確実にいっぱい獲れるんです。人生初の“成功体験”を教えてくれた師匠ですね、おかんは。それからずっと、僕は興味の対象を別のことに置き換えてやってきた気がします。例えば、「ロールケーキを作るならこのレベルじゃないと嫌だ」という目標が達成できたら、やっぱりうまいこと魚をたくさん捕まえた時のように嬉しいし、達成感があります。51歳の今まで尽きることのない興味と好奇心のまま突っ走ってこられたのも、子どもの頃からたくさんのいい体験をしてきたからだと思います。
父が働いていた洋菓子店には、幼いころから出入りしていました。父の仕事を見ながら、小学生の頃からカスタードクリームの材料を知っていたし、スポンジの作り方も知っていました。ときどきカステラ生地の泡切りなんかをやらせてもらい、楽しかったですね。しかし、お菓子作りに興味を持っている素振りを少しでも見せれば、母は嫌がっていたのではないかと思います。というのも、苦労して働く父を見ていたので、息子には同じ仕事はさせたくないと思っていたのでしょう。ことあるごとに「ケーキ屋だけはなるな」と母に言われ続けていました。

父はケーキ職人。幼いころから父の仕事場で遊んでいた。

母親に泣かれながらも意志を曲げず、ケーキ職人の道へ。

高校生になった僕は父の職場でアルバイトを始めました。クリスマスイブの夜、父と僕の2人だけで、何百台ものクリスマスケーキを仕上げなければなりませんでした。それなのに和菓子部門の人たちは、手伝いもせずに帰ってしまうことがおかしいと感じ「父が徹夜で働くのに、なんで誰も手伝わないんですか?」と、抗議したんです。すると父に「いらんこと言うな!」とすごい剣幕で怒鳴られて・・・。父に叱られたのは、その時が初めてでした。その帰り道、父はポツリと「おれには親父がいなかったから、父親のやり方が分からないんや」と。それを聞いたとき、僕は父を“世界一の親父”にしてあげようと思いました。
ちょうどそのころ、洋菓子専門誌で見た精巧な飴細工の美しさに心奪われたことがあります。洋菓子とは、こんなにもアーティスティックな世界なのか、と深く感動し、母の反対を覚悟で調理師専門学校の入学を決意。母に伝えると泣き崩れましたが、反対を押し切り、入学しました。美しい洋菓子の本に作品が掲載されるような職人になれれば、母もケーキ屋を見直してくれるかもしれない、と。それが僕のパティシエとしてのスタートでした。
専門学校卒業後、僕は神戸の洋菓子メーカー『スイス菓子 ハイジ』に入社しました。面接のとき志望動機を聞かれ「ここの社長になりに来ました。偉くならないと母親が安心しないんです」と答えたら、社長に「おもろいやっちゃなー」と爆笑されました。入社後、配属されたのは芦屋店。しかし担当は喫茶部門です。ケーキを作ろうと思って入ったのに、正直、出鼻をくじかれた気分でした。とはいえ、僕は元来あまりめげない性格なので、すぐに喫茶の仕事にのめりこんでいきました。

母親に泣かれながらも意志を曲げず、ケーキ職人の道へ。

「小山ロール」の誕生。

喫茶の仕事の中で、いちばん許せなかったのは「トーストセット」でした。パン屋から買ってきたイギリスパンを焼いて、四角いバターを添えて出すだけ。ケーキ屋としてこれで大丈夫なのかって。それで内緒でバターをバラの花状に絞り、ト-ストにつけてお出しました。子どもの頃から父がバタークリームのバラを作っていたのを見ていたので、「多分できるやろう」と思ってやってみたんです。お客様に喜んでいただき、僕も満足していました。ところがある日、それを社長に見られたんですよ。勝手なことして怒られるんじゃないかなー、とドキドキしましたが、逆に大喜びされました。そして社長は全店舗の責任者を呼び出し「この新人のサービス精神を見習え。なんでこういうことに気がつかない」と叱りつけました。それをきっかけに、僕は念願のケーキ製造の部署に異動させてもらえました。
『スイス菓子 ハイジ』には16年間勤めました。本店のシェフパティシェもやらせていただきましたが、ケーキ職人として働いたのは8年間だけ。喫茶店のカウンター、営業、商品開発、企画など総務以外のあらゆる部署を経験し、ケーキ作り以外の現場もたくさん積むことができました。その多彩な経験が現在の「小山進の強み」にもなっていると思います。
独立後の2000年、僕はコンサルティング会社を設立し、数十社のクライアントを持って商品開発や技術指導を始めました。その翌年『テレビチャンピオン』という番組の『グランドチャンピオン大会』がフランスで開催され、参加しました。そのときの決勝で僕は「ロールケーキ」を出品し、味覚部門の1位になりました。なぜロールケーキかというと、「グランドチャンピオン大会ともなると、皆作品がエスカレートしマニアックになる中、出ている他の選手と勝負してもキリがない、それだったら審査員の方々の記憶にある“これまで味わったお菓子”の中での味覚の記録更新をする“という勝負もあるよな」と思ったからです。そのとき僕の頭に浮かんだのがロールケーキで「ふわふわ、しっとり、そしてどこか新しい生地やクリームの全体的な水分量のバランスはふっくらと美味しく炊き上がったご飯」のイメージでした。斬新なものではなく、全ての世代に受け入れられるような普遍的ロールケーキ。そのイメージにこだわりながら毎日試作を重ね、3年かけてようやく一点の妥協もない「小山ロール」が誕生しました。

「小山ロール」の誕生。

作りやすいようにアレンジしたふわふわロールケーキ。

小山進を語るには、やはりロールケーキがいちばん分かりやすいのではないでしょうか。いまだにもっといいものができるんじゃないのか、という欲求があります。弱点もあれば、改善したい点もあり、僕が考える最高のレベルにはまだ到達していないので、「小山ロール」は少しずつ進化しているんですよね。フランスから三田にやってきたシェフパティシエたちは、誰もが口を揃えて「どんなレシピなのか、全く想像がつかない」と言っています。世の中にロールケーキはいっぱいありますけど、僕は「自分がやるならここまでやらないと意味がない」という質の高い正しい明確なイメージと、それを具現化する技術と味覚、その全てが揃わなければ「小山ロール」は完成しなかったと思います。
一般的にロールケーキは、焼いた面を中にしてフィリングやフルーツを巻くスタイルが主流でした。でも僕はこの茶色の“焼きっつら”のほうを見せたほうが、ずっとおいしそうに見えるのにと、かねがね思っていたんです。それがけっこう難題で、実現するために毎日毎日生地を焼き、ついに滑らかな革のような表面を持つ小山ロールが完成しました。
ここでは「小山ロール」をご家庭用にアレンジしたレシピを、お教えしたいと思います。ポイントは卵黄と卵白をそれぞれ別立てでしっかり泡立てること。そしてカスタードクリームに、ホイップした生クリームを少量加えることで2種類のクリームのつなぎになり、「クレームパティシエール」にコクが生まれます。
「小山ロール」を召し上がっていただくときは、カットして軽く手で持って食べることをお勧めしています。というのもこのロールケーキは生地を楽しむケーキ。ふっくらと炊きあがったご飯をほおばった時のような、幸せな気持ちをダイレクトに味わえると思います。

ふわふわロールケーキ

ふわふわロールケーキ

コツ・ポイント

ふんわりと弾力あるスフレ食感のロール生地をうまく焼くには、しなやかでコシのあるメレンゲを立てられるかどうかがポイント。卵黄も卵白も、それぞれしっかりと泡立てること。薄力粉を加えたら、力強い手ごたえを感じるまでよく混ぜる。 ※「小山ロール」とはレシピが異なります。

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