ピックアップシェフ

宮根 正人 Ostu オストゥ ピエモンテの郷土料理から 『オストゥ』 の料理へ。

人々が長い時間をかけておいしくしてきた伝統の味に、正直に向き合う。

念願のイタリア郷土料理の修業を、ピエモンテ州でスタート。

イタリアに渡ったのは2001年、26歳のときでした。32歳で帰国するまで、僕がその時間をほとんど過ごした場所が、ピエモンテ州のバローロ村です。集落以外は見渡す限りぶどう畑、という人口600人の小さな村。その村唯一のミシュラン星付きレストラン『ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティーコ』でスーシェフとして働いていました。僕にはイタリアへ行く前から「トスカーナやヴェネトやピエモンテなど、有名なワインの生産地で、郷土料理を勉強したい」という願望がありました。しかしイタリアに渡って最初に働いた店は、クリエイティブな料理で評判の有名店だったので、正直、そこに学びたいことがあまりなかったんです。一年の契約期間が終わり、郷土料理が学べる店を探していたところ、紹介されたのが『ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティーコ』でした。早速ピエモンテまで行き、料理が出てきた瞬間、これだ!と思いました。そしてその土地のワインを飲み、ああ、いいなぁ、これぞ自分が求めていたものだと感じました。ひと回りほど年上のシェフは地元の出身の方で、僕のつたないイタリア語も理解しようとしてくれて、ぜひ働かせて欲しいと伝えると受け入れてくださったので、すぐに引っ越してきました。
『ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティーコ』は家族経営の小さな店ですが、ミシュランの星をもらっていたので、週末ともなればミラノなど近隣ナンバーの車がつめかけます。また、名物のトリュフの時期には、ドイツやスイスからもたくさんのお客様が来て、25席しかない店はいつも満席でした。ピエモンテ州は海がないので、肉と野菜料理が食材の中心で、魚類はコイなどの淡水魚をうまく使っていました。海から遠いので魚の塩漬け技術も高い地域です。昔は塩の値段が高かったので、アンチョビを調味料代わりに使う料理法が発達したんだとか。アンチョビでソースを作る『バ-ニャ・カウダ』も、ピエモンテ州発祥の料理なんですよ。毎日忙しく働きながら、どんどんピエモンテ料理が面白くなっていきました。

念願のイタリア郷土料理の修業を、ピエモンテ州でスタート。

いればいるほどピエモンテが大好きになっていった。

5年近くピエモンテにいた理由は・・・よく聞かれますけど、“水が合った”、としか言えないんですよね。「ここに行きたい」と最初から決めて修業したのならかっこいいでしょうけど、たまたま紹介され、行きついたところがピエモンテだった、という。最初はそれだけの関わりでしたけど、長くいるほどに気に入っていきましたし、いい出会いもたくさんありました。食材や料理方法も興味深かったし、なにしろ食べものもワインも全てがおいしい土地でしたね。2年働いたところでシェフから「労働ビザを取る事もできるが、もっと居たいか?」と聞かれました。それまでの自分のキャリアを振り返ると、どこの店も短期間で辞めているんですよね。ある先輩に「1つの店で長く働き続けるたいへんさを味わうことも、いい経験になる」とアドバイスされていたこともあり、30歳で帰国する予定を少し伸ばすことにしました。当時はまだ、独立してピエモンテ料理のレストランをやるなんて、全く想像してなかったです。東京にはいまでこそイタリアの地方料理を提供するレストランが増えてきましたが、まだその頃は、そんな時代ではなかったですからね。ここだけではなく、他の地域も見るべきだろうか、とシェフに相談すると、トスカーナの店を紹介してくれたんです。だけど面接に行ってハッキリ分かったのは「ピエモンテが好きだ」という気持ちでした。
最後の1年は、アルバイトの立場で繁忙期だけ店を手伝い、空いた時間をピエモンテの食材を知る期間にあてました。肉屋で牛をしめるところから見学したり、チーズ工房で熟成方法を見せてもらったり、グリッシーニ屋を手伝ったりね。グリッシーニはピエモンテ生まれで、専門の店から買うんですよ。その他天然酵母パン屋や、クラフトビール醸造所、もちろんワイナリーも巡りました。あとバックパックひとつで、ポーランドやハンガリー、チェコなどを旅しました。この最後の1年は、本当に楽しかったですね。

いればいるほどピエモンテが大好きになっていった。

イタリア各地の地方色を出した店が増え、食べるほうも選びやすくなってきた。

イタリアを離れ、帰国したとき、その後のことは全く白紙でした。独立して店を持つのは時期尚早だと思っていたので、自分を評価してくれる店で働きたい、と考えていました。帰国のあいさつ回りにかつての修業先を訪ねたら、「もうすぐ移転するから、ここで店をやらないか」と言われたんです。びっくりしました。しかもオーナーさんまで紹介していただき、瞬く間に話が決まって2007年6月、【オストゥ】がオープン。僕は人生初のシェフになりました。
“オストゥ”とはピエモンテの方言で、オステリアのこと。自分の店では郷土料理をやりたい、地元の人が長い間かけておいしくしてきた伝統の味を食べて欲しい、そういう思いをこめて、気軽に来てもらえるよう、リストランテではなくオステリアにしました。ちょうどそのころ、僕と同時期にイタリア各地で修業したシェフが店を持つようになり、イタリア料理という大きな枠から地域色や郷土色を出したレストランが徐々に増えてきました。そうなると食べる方も店を選びやすくなると思うんですよね。
2011年にオーナーから店を買い取り、オーナーシェフになりました。今年で5年目になりましたけど、開店当時から変わらないメニューもあり、新たにオリジナルメニューとして加わったものもあります。ピエモンテの郷土料理は、材料が揃えば、現地の味をそのまま再現しています。揃わない場合は、記憶でほぼ同じ味を再現します。伝統の味は変えたくないですからね。やはり郷土料理はその土地、土地でずっと続いてきた料理。そこに正直に、とことん向き合い続けていきたいと思っています。  (終)

イタリア各地の地方色を出した店が増え、食べるほうも選びやすくなってきた。

温かい桃のデザート『ペスケ リピエネ』

ピエモンテ州でポピュラーなドルチェをお教えしたいと思います。本来は桃の季節に家庭で作られる郷土料理的なデザートですが、『ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティーコ』では店でも提供していました。最初は桃を焼くなんて、と思ったんですけど、食べてみると、しみじみとおいしんですよ。シンプルなデザートだけど、ピエモンテの人は本当に大事に作るんですよね。こういう桃じゃないとダメだとか、こだわりも相当なもの。そういうところも面白く見ていました(笑)。郷土料理は、こだわりがあってこその料理なんだと思います。
ペスケが桃、リピエネが詰め物、という意味なので、そのままのネーミングです。黄桃は必ず固いものにしてください。桃がなければアンズやネクタリンでもおいしくできます。詰め物にする「アマレッティ」はアーモンド粉で焼いたイタリアの小さなクッキーです。輸入食品店などで手に入ると思います。

温かい桃のデザート『ペスケ リピエネ』

温かい桃のデザート『ペスケ リピエネ』

コツ・ポイント

必ず固い黄桃を選ぶこと。柔らかい桃ではおいしくできません。桃の種は包丁できれいに取ります。実を柔らかくするために10分ほど焼いてから、詰め物をします。そして詰め物に火が入るまでさらに10分。アツアツのところをお召し上がりください。

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