ピックアップシェフ

岡崎 陽介 RESTAURANT SANTPAU 【レストラン サンパウ】 カタルーニャの伝統に、新たな感性を 吹き込んだ料理に感動してほしい。

語学留学したフランスの地方で豊かな食文化に触れ、料理人を志す。

フランス語学科に進学し、さらに語学力を磨くためにフランス留学へ。

1979年、東京で生まれ、小学校6年のときに引っ越した鎌倉で育ちました。父はサラリーマンですし、身近なところに飲食関係の人はいないのですが、小さいときから母の手伝いがしたくて、台所に入っているような子供でした。大晦日には近くの親戚が集まって持ち寄りのディナーをするのが恒例で、わが家の担当は毎年デザートのフルーツポンチ。果物をきれいに切って、仕上げるのが小学生の私の役割でした。「見て見て!僕が作ったんだよ」と、みんなに食べてもらうのが嬉しくて、毎年欠かさず作っていましたね。兄や妹は料理に全く興味なし、という感じでしたけど、私だけは「手伝いたい!」ってせがんで。そのうちお節料理作りまで手伝うようになり、栗きんとんなんかも作っていました。大学を卒業し、「フランス料理をやりたい」と家族に打ち明けたときも、両親から「そういえば、昔から料理が好きだったよね」と言われたほどです。そんな子供時代を送っていました。
しかし中学、高校時代は部活のテニスに夢中でしたし、友達と遊ぶことが忙しく、料理の手伝いはあまりしなくなっていました。その頃、抱いていた将来の目標は「大学でフランス語を勉強したい」ということ。十代の頃は、語学の勉強や本を読むのがとても好きだったんです。フランス語を選んだのは、カッコいいとかそんな単純な理由でしたけど、その時はフランス語が自分を料理人へと導くきっかけになろうとは、全く想像すらしていませんでした。勉強の甲斐あってフランス語学科に入学し、3年次は大学を休学し、1年間のフランス留学のため渡仏します。行った先はフランス北東部・アルザス地方にある学校でした。

フランス語学科に進学し、さらに語学力を磨くためにフランス留学へ。

留学先は自然に恵まれ、おいしい名物料理があるアルザス地方。

アルザスと言えば、様々な名物料理やおいしいワインで知られる地域。そんな場所にひとりで暮らしてみて気づいたのが、歴史あるフランスの料理文化と、地方で育まれた料理の豊かさでした。20歳まで日本で暮らしてきて、日本料理の歴史だとか伝統などは、あまりにも身近過ぎて考えたことも無かったのに、フランスに来て、異国の料理や文化に触れると、同時に日本料理のことも気になるようになるんですね。学生なので星付きのレストランなどには、もちろん行けないですが、街中のビストロ料理や家庭料理のおいしさ、奥深さに、言葉では言い尽くせないほど感動してしまうことが、何度もありました。そんな日々を送りながら、「このままフランス語を勉強して、卒業したらどうなるのか」とか、「手に職をつけたほうがいいのではないか」とか、かなり悩みましたが、もうその頃に心は「料理人になる」と決めていた気がします。
帰国して大学に復学し、通学しながら、飲食店でアルバイトを始めました。家族に自分の気持ちを正直に打ち明けたときはかなりビックリされましたけど、反対はされませんでした。「料理をやりたい」という私の情熱が伝わり理解してくれたので、嬉しかったですね。
大学を卒業した後、フランスで料理修業をする計画を立てました。日本で1から修業するよりも、ある程度語学もできるし、生活も分かっているので、仕事も見つかるかなぁ、と漠然と考えていました。その考えがだいぶ甘かったことは、実際に行ってみて初めて分かるんですけど、家族や周りの人たちも、きっと大丈夫だよ、と応援してくれたので、不安もあまり無く(笑)。それまで渡仏準備をしながら地元の飲食店でアルバイトをしていました。その店は和食がメインの魚料理がおいしい店だったのですが、シェフがフランス料理を学んだ方なので、当時は洋食メニューも出していました。渡仏前にそのシェフの元で、フランス料理の手ほどきを受けられたのは、ありがたかったですね。

留学先は自然に恵まれ、おいしい名物料理があるアルザス地方。

都会で生まれる料理ではなく、地域色に溢れた料理を学びたかった。

2003年、24歳の時に再びフランスに渡りました。行き先は南仏モンペリエです。しかし働き口を決めずに来てしまったので、最初は職探しから。市内の小さい店を何軒か回り、給料無しのスタジエとして働けるところを見つけました。この店を皮切りに、4年間のフランス滞在中に10軒以上のレストランで働きました。中でも思い出深い修業先は、3軒目の店だったモンペリエの『シャンドリエ』ですね。面倒見の良いベテランのシェフに信頼され、経験の浅い私に魚部門を任せてくれたのは、いい経験になりました。大事なソースも自分がやりたいものを自由にやらせてくれて、それが好評だと、自信にもなりました。
とても働きやすい店でしたが、自分としてはフランスのいろんな地方をできるだけ回りたかったので、モンペリエの次はスイス寄りのアルプス、南西部のペリゴール、ロアンヌ・・・など。パリやリヨンのような都会ではなく、地域色が豊かで、そこでしか食べられない食材や料理がある地方を回りました。おかげで都会にいてはなかなか生まれない料理をたくさん学ぶことができました。地方料理を見ておきたかったのは、日本に帰国し、いつか自分の料理で勝負するときにも、必ず役に立つと思ったからです。
それと語学を勉強していたので、言葉の問題で苦労したことは、ほとんどありませんでした。有名な『トロワグロ』や『マルク・ヴェラ』(現在閉店)など、日本人が働いている大きな店も経験しましたが、ほとんどは日本人が私だけという小さな店ばかりです。働きながら、学ぶべきことを探し、その達成感を得られたら、次の店を探して履歴書を送り、面接が通れば移る、という感じの4年間。その繰り返しの中で、どんどん自信がついていきましたし、新しい履歴書を書く度に、キャリアの文字数が増えていくのが嬉しかったですね(笑)。この4年で全ての部門シェフを経験でき、オールラウンドで勝負できる自信が整ったので、そろそろ日本でやってみたいという気持ちが高まり、2007年に帰国しました。  (後編に続く)

都会で生まれる料理ではなく、地域色に溢れた料理を学びたかった。

『鱈の白子のポワレ 柚子風味のブールブランソース』

今回お教えする白子の料理は、大学を卒業してフランスに渡るまでアルバイトしていた地元の飲食店で習った料理です。シェフはフランス料理を学んだ方で、その日手に入った新鮮な食材を見てからメニューを考える方でした。まだ若かった私は、白子なんてあまり食べたことも無かったのですが、新鮮な白子と、無農薬の柚子を使い、フランス料理の基本のソース「ブールブランソース」を合わせてこの料理作ったんですよ。感動しました。そのとき初めて白子のグリルと、このソースを教えてもらったので、いまも忘れられない一品です。作り方もほとんどそのとき教わったやり方です。
必ず新鮮でプリっとしたリ白子を使ってください。小麦粉を裏表両面に振り、中火で表面をカリッと焼くこと。焼き過ぎると、中のジューシー感が無くなるので、あまり固くならないように。ソースはバターの乳化させることがポイントなので、バターを2回に分けて入れ、丁寧に混ぜていってください。口のなかでふわっと柚子の香りがするソースに仕上げます。この季節においしい白子は、お鍋の具材にしたり、そのままポン酢をかけて食べるのがポピュラーですが、たまにはこんな風にフランス風に仕上げる一品もおすすめです。

鱈の白子のポワレ 柚子風味のブールブランソース

鱈の白子のポワレ 柚子風味のブールブランソース

コツ・ポイント

新鮮な白子を入手。下味をしっかりして小麦粉は最小限に抑える。 バターで焦がさないよう火加減に気を付け、表面をカリカリに仕上げる。 ソースはバターを少しずつ加え滑らかにし、柚子を加えたら極力火にかけずフレッシュ感を保つ。 ほうれん草は茹でたあと軽くソテーし、余分な水分をよく切る。

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