ピックアップシェフ

間渕 英樹 SCIROCCO イタリアでの修行時代の忘れられない味、家庭料理カッスーラとモロッコのクスクス。

おばあちゃんが大鍋に作ってくれたまかない料理・カッスーラ。

卒業旅行で出かけたヨーロッパがきっかけで、進路が180度変わってしまった。

18年前、僕は大学の商学部を卒業しました。当時は今ほどではないものの、バブル経済が終わったあとの、就職難の時代。将来、どんな仕事をやりたいのか、とはっきりした目標も定まらないまま、とりあえずどこかの会社から内定を貰えれば良いほう、という状況でした。運良く、僕は夏休み前に2社から内定をもらえたので、学生最後の夏休みを利用して、ロンドンに住む友人を訪ねてみようとイギリスに出かけたんです。それが初めての海外旅行でした。友人はロンドンでアルバイトをしながら、銀職人の修行をしていたのですが、彼の周りには、家具職人を目指している人とか、なんらかの職人を目指して技術を磨いている人が多く集まっていて、みんな「オレは自分の手でやりたいことをやる」みたいな、自信やヤル気に満ち溢れている若者ばかりでした。明確な目的もないまま大学を出て、なんとなくサラリーマンになる、という我が身と比べて、ちょっと焦ってしまったというか、自分はこれでいいのか、と不安になってきてしまったんですよね。ひと月ほどロンドンをベースに、パリやフランスのル・マンなどを旅するうち、将来に対する不安がますます募ってきて、サラリーマンになった自分の3年後、5年後のことを想像すると、たぶん自分には続かないんじゃないか、とも思い始めていました。

卒業旅行で出かけたヨーロッパがきっかけで、進路が180度変わってしまった。

僕は大学時代の4年間、パスタ専門店や喫茶店など、ずっと飲食業のアルバイトをしていました。飲食の仕事はとても好きだったんですよね。折しも東京には、パリのカフェをそのまま持ってきたようなブラッスリースタイルのカフェ、広尾の『カフェ・デ・プレ』のような店がぽつぽつ登場してきていたので、あんな店で自分も働いてみたいというほのかな夢も、心のどこかにありました。そういった憧れのカフェやカフェ文化を異国で体験するうちに、レストランの仕事の楽しさが、すごくリアルなものになってきたんです。同時に、イキイキと海外で修行する職人の卵たちから受けた刺激や、サラリーマン生活への不安などにも後押しされ、自分の進む場所、本当にやりたいことは飲食の仕事じゃないかと、どんどん気持ちが方向転換して行きました。日本に帰る前日ぐらいまで、あれこれ悩んでいましたけど、帰りの飛行機の中では、すっかり気持ちが固まっていました。家に戻り、家族に「内定を取り消す」と言ったら、びっくりされましたが、卒業したら働くから、と言い、なんとか許してもらいました。いま思えばイギリスで過ごした一ヶ月は、僕の人生が180度ひっくり返るほどの経験でした。

料理だけでなくサービス、料理学校の助手と飲食に関することを貪欲にチャレンジ。

卒業後は都内の地中海料理のレストランで働き始めました。いまさら親に調理師学校に行きたいとも言えないので、店で一から料理を覚えるしかない、と毎日一生懸命働きました。そこのシェフは優しい方でしたので、決して蹴られたりすることもなく(笑)、少しずつ料理の仕事を覚え、3年半くらいお世話になりました。料理に関しては、ひと通りのことはできるようになったので、もっと他のこと、サービスのことも、店の経営なども勉強したいと思っていたんですよね。というのも、ずっと頭の中には、いつか自分の店を持ちたい、お酒が飲めて気の利いたおいしい料理を出すブラッスリー風のカフェをやってみたい、という夢がありましたから、料理以外のことも機会があれば覚えたいと考えていたんです。

料理だけでなくサービス、料理学校の助手と飲食に関することを貪欲にチャレンジ。

その頃、自由が丘に新しくオープンする店で働かないかという話がありました。面接に行くと、キッチンではなくホールをやってほしいと言われたので、サービスの仕事が覚えられるならちょうどいい、と思って転職しました。でも、25歳で店のマネ-ジャーを任されることになり、僕なりに頑張っていたんですが、4ヶ月くらい休みも全く取れないし、店の状況もあんまり良くなく、このままやってもダメだなと見切りをつけました。その後、バーでバイトしながら、『ル・コルドン・ブルー東京校』の洋菓子の講座に通っていました。その学校で『コートダジュール ミクニズ』のシェフ・パティシエから教授になられた奥田シェフと知り合い、「講師のアシスタントをやらないか」と声をかけられたんです。ちょうどその頃、キッチンの現場に戻るか、どうするか悩んでいたので、お菓子の勉強ができる、面白そう! と、すぐに引き受けました。アシスタントの仕事とは、生徒さんがレッスンで使うお菓子の材料を計量して用意したり、教授のデモンストレーションの手伝いをすることが主ですが、その合間に自分でお菓子を作って練習することもできるので、とても楽しかったです。今まで縁がなかったパティシェの仕事も学ぶことができ、半年間とはいえ、とても有意義な時間でした。その後、再び現場に戻り、南イタリア料理のレストランでホールの仕事をするのですが、「イタリアに行けるシェフを探している」という話が友人から舞い込んできたんです。もう一も二もなく、行きたい!話を聞きたい!と頼みました。

ついに憧れのイタリアへ。季節ごとに忙しい場所を選んで働いていた。

28歳になった僕は、念願かなってイタリアで働くことになりました。場所は北イタリアのアオスタというところで、モンブランやスイスアルプスに囲まれた渓谷の街。冬はスキーリゾートとして有名な観光地でした。紹介された店は、アオスタではいちばんのレストランということでしたけど、僕が入る前まで日本人がいたそうですが、突然いなくなってしまったとか。辺鄙な場所ですし、街にアジア人は僕ひとりしかいないようなイタリアの田舎で、シェフもけっこう厳しい人だったので、続かなかったのかなぁ、と感じました。僕は辞めることなく9月からスキーシーズンが終わる3月頃までそこで働きましたが、シーズンが終わると暇になるので、ミラノのレストランに移りました。そこでサマーシーズンに忙しい海岸沿いの州、リグーリアのレストランを紹介され、夏はリグーリア、冬になるとブリアンツァと、季節労働者のようにレストランを行ったり来たりしながら働くようになりました。そういうスタイルで働く料理人は、ヨーロッパでは割と普通のことなので、僕も季節ごとに気分を変えながら働くことができました。とくに僕がお世話になったブリアンツァのレストランは家族経営の店で、一族が近所に住み、レストランやバール、商店まで手広く商売をしていました。

ついに憧れのイタリアへ。季節ごとに忙しい場所を選んで働いていた。

ファミリーを仕切るおばあちゃんが、ときどきまかないで作ってくれたのが、今回ご紹介する『カッスーラ』です。レストランで出すような料理ではなく、北イタリアの家庭料理ですね。家族とスタッフの分を作るので、いつも大鍋でどっさり作ってくれて、じっくりオーブンで加熱したカッスーラを、みんなで食べたのは、とてもいい思い出です。難しい料理ではありません。材料を炒め、あとは肉と野菜のうまみを、オーブン調理でじっくりと引き出すだけです。手に入りにくい材料もありますが、本場風にしたいのなら、ぜひ豚皮や豚耳は入れて欲しいですね。キャベツも普通のものでも良いのですが、できればちりめんキャベツで作って欲しい。ちりめんキャベツは生で食べるには固く、煮込み料理に最適な野菜なんです。長く煮込んでも煮崩れず、しっかりと味が染み込みますので、カッスーラにすると格別の美味しさになりますよ。

カッスーラ

カッスーラ

コツ・ポイント

豚皮、豚耳を使う場合、独特の匂いがあるのできちんと茹でこぼすこと。野菜類はゆっくりと火を通し、甘味を十分に出してから煮込む。難しいことは何もないので、気楽に挑戦してください。肉は豚肉以外でも構わないのでお好きなもので。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル