ピックアップシェフ

井桁 良樹 中国菜 老四川 飄香 麻布十番店 長い歴史の中で生き残ってきた奥の深い四川の味を、日本で伝えたいと思った。

料理にのめりこむほど湧き上がってくる疑問、それを解決にするために中国へ。

初めてのアルバイトは中華料理店。店主に「料理人に向いている」と強く勧められた。

私は千葉市内で生まれ、幼いころに市原市に引っ越して育ちました。というのも私には喘息の持病があり、両親が空気のいいところで暮らそうと決めたようです。小学生のころは咳がひどくて朝まで眠れなかったり、夜中に病院に行ったりを繰り返していました。
当時の夢はプロ野球選手。そしてもうひとつの夢はコックさんでした。なぜか小さいころから料理が好きで、家族のためにチャーハンやラーメンをちょくちょく作っていました。ラーメンと言ってもインスタントですが、冷蔵庫を物色して白菜やネギを取り出して刻み、手をかけて野菜たっぷりのラーメンを作ったりしていました。または料理番組で覚えた調味料を使いたくて、母に「オイスターソースはどこ?」と聞いて「そんなものないよ」と言われたり(笑)。いま振り返れば、このころから「料理って楽しい、面白い」という感覚が芽生えていたと思うんですよね。
高校に入学したころ、近所に中華料理店がオープンしたのでアルバイトを始めました。サービス担当でしたが、ときどき厨房を手伝うこともあり、家で料理をしていたせいなのか、食材を切るのがうまかったらしく、重宝されていました。店のマスターにも褒められ、「この仕事が絶対向いているよ」とまで言われていました(笑)。当時はまだ15か16ですので真剣に受け取らなかったけど、ズバリその通りになりました。
バイトでいちばんの思い出と言えばまかないで食べた「回鍋肉」。豚肉と野菜を甜麺醤で炒める、ガッツリした焼肉系の回鍋肉でしたので、食べ盛りにとっては「世の中にこんなおいしいいものがあるのか!」と大感激した料理です。早速、家でマネして作ろうとしたら、山盛りのキャベツを油で揚げる際に天井まで火が昇ってしまい、たいへんな目に遭いましたけどね(笑)。バイトの最後の日にはマスターにお願いして作ってもらい、嬉しさと寂しさで泣きながら食べたのもいい思い出になっています。

初めてのアルバイトは中華料理店。店主に「料理人に向いている」と強く勧められた。

専門学校の中華コースを卒業し、四川料理まっしぐらの人生を歩み始める。

高校卒業後は千葉県内の調理師専門学校の中華コースに進みました。自分で言うのもなんですが、実技もクラスメイトの中では一番だったと思うし、成績は優秀でした。そのおかげで学習発表会や文化祭の時は必ず駆り出され、実演を任されていました。学校にはその後就職することになる中華料理店のシェフ、斎藤文夫さんが講師で教えに来られており、斎藤さんの作る料理、仕事ぶりなど全てがとにかくカッコよくて、憧れると同時に、一緒に働きたいと強く思うようになっていました。その希望が叶い、卒業後は検見川の斎藤さんの店に住み込みで就職し、8年間お世話になりました。
斎藤さんは東京の『四川飯店』で長らく修業され、独立したシェフですので、この店で初めて四川料理と向き合う経験ができました。とはいえ、料理をさせてもらうまでに6年ぐらいかかり、それまではずっと下っ端です。一日中洗い場で食器を洗い、店が終わって寮に戻ればスタッフ全員の白衣と衣類を洗濯して・・・という毎日。私の後に後輩が入ってきても、仕事が辛くてほとんどが3か月ぐらいで辞めてしまうので、何年も下っ端でした。でも私自身は辛いと感じたことはなく、修業とはこういうものだろうと思い、少しでも斎藤さんの技術を吸収しよう、もっと学ぼうと淡々と働いていました。
26歳になり自分の将来について考え始めるようになったころ、柏市の『知味斎』に四川料理の特級調理師が来ているという話を聞き、斎藤さんにお願いして紹介していただき、運よく働くことになりました。
『知味斎』では前菜部門を任され、毎月メニューを考える立場になったので、毎日のように中華料理の本を読み、歴史を紐解き、以前にも増して中華料理にのめりこんでいきました。北京語を習い始めたのもそのころだったかな。のめりこめばのめりこむほど疑問がわくというか、日本で作っている中華料理は本場とどう違うのか、自分がやっていることは正しいのか、間違っているのか。中国まで“修業”をしに行きたいというのよりも、全ての疑問を“解決”するために中国に行きたい、という強い気持ちが湧き上がっていました。

専門学校の中華コースを卒業し、四川料理まっしぐらの人生を歩み始める。

伝統の四川料理を知る最後の世代の老料理人たちから、本当の四川料理を学べた。

29歳のとき、ついに中国へ渡りました。紹介されたのは上海にある四川料理店。本当は四川に行きたかったのですが、伝手が無くて叶いませんでした。まず驚いたのは2年間習った北京語が、まったく通じなかったこと。発音が全く違うんですよね、しかもこちらのつたない中国語を聞きとってあげよう、という気配りは中国人スタッフになく、最初のうちは筆談でコミュニケートしていました。
料理に関しては、すぐに日本と中国の圧倒的な差を感じました。もっとも驚いたのは、本場の中華料理は新鮮で無駄がない、ということでした。たとえば「海老の塩炒め」は、本当に海老と塩しか使いません。生簀から生きた海老を20匹ぐらい取り出し、さっと炒めるだけ。日本で同じメニューを作る場合、下味をつけて保存していた海老に、缶詰を3つくらい開け、マッシュルームとヤングコーン、グリンピースなどでかさ上げして出していました。日本ではとてもマネ出来ないことですが、とにかく食材の新鮮さと、その日のうちに全て使い切るような無駄の無さは、素晴らしいと感じました。
1年後にやっと念願叶って、四川省の成都にあるホテルの厨房で働き始めました。当時は四川料理が変わりつつある時期でしたけど、その店は伝統的な四川料理を出していて、50~60代以上のベテラン料理人も何人かいました。現在の四川は若手シェフが持てはやされ、物流も急激に良くなったので上海蟹でも何でも手に入り、もはや今の四川料理にはなじみのあるものがほとんどありません。『青椒肉絲』などの定番料理は流行りのレストランや大型店にはないでしょう。そういう状況なので、私は最後の世代の伝統ある四川料理の料理人たちから様々な料理を学ぶことができたので、運が良かったと思います。ようやく本当の四川料理に巡り合えた気がして、そこで働いた一年間はとにかく必死でした。取材などでは「500レシピ持ち帰った」と話していますが、それぐらいおぼえてきましたよ。とにかく新鮮な食材の豊富さと魅力的な調味料や香辛料のバリエーション、その使い分けは感動の連続でした。長い歴史の中で生き残ってきた料理にはそれぞれ物語もあると感じました。そしてこの味を日本に伝えたいと思いました。その思いは今も全く変わっていません。(後編へ続く)

伝統の四川料理を知る最後の世代の老料理人たちから、本当の四川料理を学べた。

四川でもまかない料理の人気メニューは回鍋肉。どんな野菜でもおいしい。

今回お教えするのは「回鍋肉」です。高校生のとき、アルバイト先のまかないで食べて感動して以来、大好きになった料理。人生でいちばんたくさん作ってきたメニューかもしれません。四川のレストランで働いているときにも、まかないとしていちばん多く登場したのが回鍋肉でした。日本では豚肉に合わせるのはキャベツやピーマンがポピュラーになっていますが、そのとき余っている野菜なら何でもOKなのが、四川流のまかないスタイルの回鍋肉。私もいろんな野菜入りのものを食べましたけど、いちばん好きだったのが中国で豊富にある赤いタマネギの回鍋肉です。調味料も甘い甜麺醤で炒めるのが日本式ですが、四川では豆板醤だけで炒めるのが主流。実は野菜も葉にんにくだけのシンプルなものが本場のレシピなんです。
季節は夏ですので、夏野菜のゴーヤと玉ねぎ、豚肉の回鍋肉にしてみました。素材はあらかじめ火を通しておくので、強火で一気に仕上げるイメージで作ってみてください。調味料も豆板醤だけではなく、甜麺醤も加えていますので、より奥の深い辛さになっておいしく召し上がれますよ。野菜にもそれぞれおいしい時期がありますので、そのときどき、お好きな野菜、旬の野菜を使って作ってみてもいいと思います。
私の店『老四川 飄香』では、豚肉と葉にんにく、玉ねぎの井桁流回鍋肉を通常のグランドメニューでお出ししていますので、ぜひ機会がありましたら召し上がっていただきたいですね。

ゴーヤ入り回鍋肉

ゴーヤ入り回鍋肉

コツ・ポイント

四川の賄いホイコーロー。中国料理の代表的炒め物ですので、プライパンから煙が出るくらいの強火で一気に仕上げます。豚肉はカリカリベーコンを作るように炒めてください。 ※テフロン加工のフライパンなど、高温に適さない調理器具があります。強火でも大丈夫な鉄鍋がお勧めです。

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