ピックアップシェフ

渡辺 雄一郎 Nabeno‐Ism フランス料理を学んだ日本人が江戸食文化発祥の地で どういう表現をするかをテーマに。

故郷の浜辺で海を眺めながら決心した、料理人への道。

小学校の卒業文集で「ホテルの料理長になる!」と宣言。

生まれ育ったのは千葉県習志野市。東京湾のいちばん奥にある街です。小学校の校舎の窓からは海が一望できて、はるか彼方に富士山の姿も望めました。父の実家が海苔養殖業を営んでいたので、ちょくちょく養殖場に行っては生海苔をつまんで食べたりしながら遊んでいましたね。当時は船橋から習志野にかけての沿岸は、まだ海苔養殖ができるほどの海だったんです。そんなのどかな場所で幼少時代を過ごしました。思えば昔からなぜか海や川など《水辺》に縁がありました。2016年オープンした私の店『Nabeno-Ism』も隅田川べりにあり、水辺に呼ばれているような、不思議な縁を感じることがあります。
母が料理好きだったので、一緒にテレビの料理番組を見たり、お腹がすくと母の料理本を眺めたり、幼いころから料理に興味があったんですね。母はできあいの惣菜などは買わずにすべて手作りしていましたし、元帝国ホテル総料理長の、愛称・村上ムッシュのレシピで、おいしいハンバーグを作ってくれることもありました。そうそう、料理漫画も大好きでした。『包丁人味平』という漫画で、味平が水に浮かべたキュウリを切るシーンがあるんですが、それをマネして洗面器にキュウリを浮かべ、挑戦したこともあります(笑)。小学校の高学年のころに夢中で見たのは、TBSテレビ番組『料理天国』でした。毎週、辻調(辻調理師専門学校)の先生方が登場し、素晴らしい料理を作るので、食い入るように見ていました。その後、私が進学することになる大阪あべの辻調理師専門学校との出会いがこの『料理天国』でした。小学生のとき、家庭科の調理実習で目玉焼きを作り、すごく褒められたことは今でも誇らしい思い出で、卒業文集に「将来はプリンスホテルの料理長になる」と書いたんですよ(笑)。男子が料理をやりたいなんて、まだちょっと恥ずかしい時代でしたが、担任の中澤孝子先生が「雄ちゃん、コックさんになりたいなんてカッコいいじゃない!」と、背中を押してくれたんです。いまこうして料理の世界にいるのも、その恩師のおかげだと思っています。

小学校の卒業文集で「ホテルの料理長になる!」と宣言。

両親に内緒で学校見学へ。初めて巻いたオムレツで人生が決まった。

中・高校時代の6年間は、どっぷり野球漬けです。私の世代は校内暴力で学校が荒れていた時代でしたが、私は超真面目な野球部員。中学で全国大会に出場し、ベスト8まで進むほど頑張りました。高校でも野球を続けたくて、強豪校に進学しました。このころは、大学で教育課程を勉強し、社会科(地理)の先生になって野球部の監督に、と将来を思い描いていたんですが、希望の大学に入れず、浪人することになったのです。習志野に《茜浜》という場所があるんですけど、浪人中、茜浜のテトラポッドの上に座って、海を眺めながら将来のことを考えることがよくありました。先生になるのか、昔からの夢だった料理の道へ進むのか・・・悩んだあげく、ある行動に出ることに・・・。両親には内緒で、辻調の体験入学に申し込み、一人で大阪まで行ったんです。そこでの実習がオムレツだったんですが、講師の先生に「キミ、どこで働いてるの?」と褒められて、「いや、初めて作りました」と答えたら、さらにビックリされて(笑)。先生の体の動きやフランパンの傾け方を、そのとき見て憶えて全部そのままそっくりやったら、うまくいったんですよね。野球と同じく、型で覚えて実践したんです。初めて作ったオムレツを褒められて、すごく嬉しかったんですよ。帰宅後、「お話させてください」と両親を呼んで、目の前で土下座して「辻調で料理を勉強したい、行かせてください」と頼みました。両親はびっくりですよね、予備校に行ってたはずが、新幹線で大阪まで行って、体験入学してきたんなんてね。でも、父は黙って「わかった」と言ってくれました。あとで聞いたら、そのときの私の顔つきが輝いていて、ハラを決めた顔だったから応援しようと思ったそうです。その父も、2012年に他界しましたが、亡くなる間際までそのときの話を繰り返ししていましたから、よっぽど私の表情が印象的だったのだと思います。大学のために貯めていたお金で、2年次のフランス校留学までさせてくれた両親には、いくら感謝してもしきれません。

両親に内緒で学校見学へ。初めて巻いたオムレツで人生が決まった。

フランスから東京、そして再びフランスへ。猛烈に忙しい日々の始まり。

辻調のフランス校では、まずリヨン郊外のヴィルフランシュ市に滞在し6ヶ月フランス語を学んだあと、残り6ヶ月を近郊の星付きの店で研修するんです。私は、夏はリヨンから約300kmも南の、地中海に面したリゾート地・サントロペで、冬はスキーリゾート地・クーシュベルにある二つ星レストラン(どちらも『ル シャビシュー』)で研修しました。フランスではいろんなことが学べたし、仕事も楽しかったので、またすぐにフランスへ戻るぞと言う気持ちで帰国しました。就職先もフランス人がいるところで働きたかったので、その希望通り、かつて六本木のアークヒルズにあった『ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー』に入りました。当時ポール・ボキューズさんの店は、東京ではここ一軒だけでした。その縁で2回目のフランス修業は、ボキューズさんの友人の店で働くことができました。そこでは魚担当の部門シェフに抜擢されました、というか他に誰もやる人がいなかったので(笑)。猛烈に忙しかったですね。例えば、ムール貝を20キロ一人で全部きれいに掃除したり、山盛りのアカザ海老の仕込みをしたり。一人でやっていたので間に合わず昼休み返上で仕事してると、他のスタッフに、なんで休まないんだ、お前はバカか、とからかわれたり(笑)。そこでの修業期間は1年でしたが、シェフのジェラール・アントナンさんと息子のフィリップ(MOF1991)とは、それ以来ずっといい交流を続けています。アントナンさんは私のフランスの父のような存在で、毎年2月22日の誕生日には必ず電話をしている仲です。
その後もフランスに留まり、二つ星の店で働くことが決まっていたんですが、地元習志野市の大事な友人が交通事故に遭ったという連絡が入って、急遽帰国することになったんです。残念ながらその友人は亡くなりましたが、最期に立ち会うため戻ったことに、後悔はありません。その後、決まっていたフランスの就職先にキャンセルの連絡をし、1年ぶりに日本へ本帰国することにしました。古巣の『ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー』に復職し、2年目が過ぎたころ、「タイユヴァンとロブションが組んで、恵比寿にお城を建てて何かやるらしい・・・」という興味深いウワサが聞こえてきたんです。(後編に続く)

フランスから東京、そして再びフランスへ。猛烈に忙しい日々の始まり。

ポール・ボキューズさんのために作った『ポタージュ キュルティバトゥール』。

辻調卒業後、私が就職した『ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー』には、年に何回かポール・ボキューズさんが来られていました。その際、何故か私が指名されてボキューズさんの食事を作ることになったんです。ボキューズさん専属のまかない担当です。少しフランス語が喋れたので、おもしろいヤツだと思われたのかもしれません。そのときオーダーされたのが『ポタージュ キュルティバトゥール』と、トマトのサラダとチーズ、というメニュー。しかし、『ポタージュ キュルティバトゥール』?なぜその一皿、という感じだったのですが、ボキューズさんの好みの作り方を聞きながら一生懸命つくりました。ひとさじ食べてうなずき、一言「C'est bon.(セボン)」と、ボキューズさんに褒められて、来日中に毎日このポタージュをお召し上がりいただいたのは良き思い出です。ポタージュといっても、ミキサーにかけたスープではありません。キュルティバトゥールとは、農家の人、という意味で、玉ねぎ、にんじん、かぶ、セロリ、ポワロー(ポロネギ)、じゃがいもなど具沢山の野菜とベーコンを加えて煮込んで作るスープ。全ての野菜を1cm角ほどに切りそろえる《ペイザンヌ》にするのが特徴です。水かブイヨンだけで煮込むシンプルなものですが、野菜をじっくり炒めるほどに甘みが出て、おいしくなります。フランス料理の底力を感じる料理だと思います。野菜は季節の野菜ならなんでもいいのですが、とくにポワロ―を入れると、フランス風の味になりますね。最後にクレソンを散らすのは、私のオリジナルです。

ポタージュ キュルティバトゥール

ポタージュ キュルティバトゥール

コツ・ポイント

1cm角ほどの《ペイザンヌ》に切りそろえた野菜を、じっくりゆっくりバターで蒸し煮するように炒めていき、野菜の持つ甘さやエッセンスを引き出すこと。味付けはベーコンの塩気を考慮して、塩加減を決めてください。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル