ピックアップシェフ

橋本 宏一 セララバアド 目指すものは日本の食材が織りなす四季の情景。 驚きも交えながら、料理で表現したい。

厨房の外で学び、経験したことも料理に反映している。

ダイビングにバイク。ひとりで好きなものに熱中していた高校時代。

大阪・堺市に、男ばかり三人兄弟の長男として生まれました。実家は飲食業とは無縁の家庭でしたし、私自身、子どものころから料理が好きとか、今につながる素養はまったくなかったです。食べ盛りになると、おかんが夕飯を作るまで待てずに、自分でインスタントラーメンを作るとか、その程度でした。料理の世界に足を踏み入れたのは、高校生になってファミレスでアルバイトをしはじめたことからです。というのも、中学3年生の時になぜかダイビングをやりたいと思い、卒業祝いにダイビングの免許を取らせてもらったんです。今思い出しても、なんで突然潜りたくなったのか、その理由は思い出せないのですが(笑)、機材や潜りに行くための費用をアルバイトで稼がないといけなかったし、さらに16歳でバイクの免許も取ったので、バイクのローンも払わなければならなかった。それで初めてのバイトとしてファミレスを選んだのですが、もともと表に出るのがあまり好きではなかったので、キッチンを希望して、調理を担当していました。ハンバーグを焼かせてもらったり、料理はすごく楽しかったですね。そんな風にバイトとダイビングと、ツーリングに明け暮れていた高校時代でした。周りの同級生には、そんなお金のかかる趣味を持つやつはいないし、ちょっと変わっていたのかも。でも、やりたいことがあれば、思い切って飛び込む勇気は、そのころから芽生えていたのかもしれません。
高校卒業後は、調理師専門学校に入学しました。本当は整備士になりたくて、自動車メーカー付属の学校を考えていたのですが、最終的に1年で卒業できて働ける調理師学校に決めました。そう決心したとき、なんか気持ちがすごくスッキリしたことを憶えています。だからこれで間違いない、自分には料理が合っていると、そんな思いを強くしました。

ダイビングにバイク。ひとりで好きなものに熱中していた高校時代。

就職したホテルを2年で辞め、バイクで日本縦断の旅へ。

調理師学校卒業後は、大阪駅前に開業するホテルに、オープニングスタッフとして就職しました。いま振り返ると、なんでホテルに入ったんやろう、と不思議なんですが、私の料理人としてのスタートは、ホテルのオールデイダイニングでした。朝食からランチ、ディナー、ルームサービスまで担当する、大きな厨房です。毎日忙しかったですし、あまりに規模が大きすぎて、見方によっては大きな工場みたいな感じでしたね。チームの一人、というポジションが性格的にも合わなかったので、2年で退職してしまいました。その後はすぐに就職せず、しばらく放浪の旅へ出たんです。
そのころ、いつか海外をバイクで旅してみたいという夢を抱いていたのですが、その前に日本を回ってみようと思いました。まずは大阪から北海道へ。そこから沖縄を目指し、日本を南下しながら最後は西表島までたどり着き、日本縦断を果たしました。実は21歳まで大阪を出たことがなかったんです。行く先々でいろんな人々に会い、親切にしてもらいました。お金もなかったので、ほとんど野宿というか、良くてキャンプ場に泊まる、という毎日。いまの時代なら不審者と思われるかもしれない(笑)。でも当時は、同じような若者がけっこういたんですよ。まぁ、好きな場所に行って、好きなように滞在し、気楽に旅を続けていたんですが、そんな日々を数か月続けているうちに、ちゃんと働こうという気持ちになってきたんです。地元大阪に戻り、町場のフレンチレストランで再び働きはじめました。
そのころ出会ったのが『パーマカルチャー』という本です。ずっとダイビングを続けていたこともあり、環境問題には人一倍敏感だった私には、『パーマカルチャー』の思想、生き方、暮らし方には賛同できることがたくさんありました。中でも田舎で暮らすライフスタイルに憧れ、地方でしばらく住んでみたいという気持ちがどんどん高まっていたんです。

就職したホテルを2年で辞め、バイクで日本縦断の旅へ。

移住した石垣島でシェフを任され、料理人として視野が広がる。

25歳のとき、田舎暮らしの希望が叶い、石垣島へ移り住みました。ダイビングスポットが豊富な島の裏側にオープンしたホテルの料理人として、新たなスタートです。そのホテルにはフランス料理のレストランがあり、シェフはフランスでの修業から帰ったばかりと聞き、すぐに応募して就職することができました。
しばらくして、働いていたフレンチレストランが2軒目の店をオープンし、そこのシェフを任されることになったんです。その店はエスニック料理や郷土料理などを出すカジュアルな店で、料理だけでなく、経営面のマネージメントもやらせてもらったので、店を運営するための総合的な知識も学ぶことができました。
石垣島には5年ほど住みましたが、実りある素晴らしい日々でした。のんびりとした時間が流れ、純粋な気持ちのまま過した場所。石垣島に来る前に思い描いていたパーマカルチャーは実現できなかったけど、料理人として成長した手ごたえは感じていましたね。石垣島の暮らしは、東京や大阪にいては絶対にできないものでした。
オーナーが海外に料理の研修に行かせてくれたので、フランス、イタリア、タイ、ベトナム、台湾などで現地の料理を学ぶこともできました。海外のレストランで研修を重ねるごとに、海外で働いてみたいという夢がどんどん膨らんできました。
島には情報が少ないので、もっぱら雑誌を買って読んでいたんですが、あるとき『ブルータス』で、『エル・ブリ』を率いるフェラン・アドリア氏の料理を見て、衝撃を受けました。「こんな料理があるのか!」って。あのころ、コースで30皿も出すことがまず信じられなかったし、その一皿一皿が見たことがないものばかりだったんです。
翌年の2002年2月、フェラン・アドリア氏が初来日し、都内で講習会を開くのですが、幸運にもその講習会に当選した私は、スペイン語で履歴書と手紙をしたため、上京しました。 (後編に続く)

移住した石垣島でシェフを任され、料理人として視野が広がる。

煎り番茶のスモーキーな香りをプラス『イワシ 茄子 煎り番茶の香り』

とある名料亭で出していただいた《煎り番茶》のスモーキーな香りが素晴らしく、思いついた料理です。店でお出ししている2017年夏のコース料理から一品、アレンジしたレシピをご紹介します。店ではアユを使用して作る料理で、かつては蓋をした器の中でアユを瞬間的に燻製にしていましたが、今は揚げた熱々のアユを《煎り番茶》の上にのせて蓋をするだけで、力強い《煎り番茶》の香りをアユと茄子に移して仕上げています。ご家庭でも簡単に作れると思いますので、ぜひチャレンジしてみてください。イワシだけでなく、アジでもいいし、豚肉などでもおいしく作ることができます。

イワシ 茄子 煎り番茶の香り

イワシ 茄子 煎り番茶の香り

コツ・ポイント

煎り番茶の持つスモーキーな香りを、揚げたイワシと茄子のピューレに移すため、蓋付きの器を用意しましょう。盛り付けたらすぐ蓋をし、提供します。 茄子はオーブンでじっくり焼いた後、中身だけをスプーンでそぐように取り出し、滑らかになるまで叩いてからにんにくオイルで炒め、味付けをします。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル