ピックアップシェフ

高橋 雄二郎 ル スプートニク フランス料理の伝統を重んじながら 新しい挑戦を提案したい。

食べ歩きが好きだった少年が、いつのまにか作る側になった。

幼な心に感動した料理は「鯉とスッポンの雑炊」。

子どもの頃から料理が好きで、大人になったら料理人を夢見てました! と言いたいところですけど、まったくその欠片もない子ども時代でした(笑)。ただ、この仕事に大きな影響を与えたと言えば、両親ですね。とにかくおいしいものを食べるのが大好きな人たちで、鮎の季節になれば山口へ、佐賀の鯉料理、柳川の鰻、呼子のイカ・・・という具合に、小さい頃から車に乗せられ、無理やりあちこち連れて行かれました。いまでもあれはおいしかったなぁーと思い出すのは、佐賀で食べた「鯉とスッポンの雑炊」とかね。小学生のくせに(笑)。両親が好きだったので、鯉料理はよく食べに行ったんですよね。ついこないだ実家に帰った時も、福岡の飯塚市にうまいモツ鍋屋さんがあると、強引に連れて行かれました。まったく変わってない(笑)。まあそんな具合に食べ物に関しては、作るより食べるほうが専門のまま、大人になりました。
大学生にもなると、自分で食べ歩きをするようになり、とはいえ安いもの中心ですが。お好み焼きを広島まで食べに行ったりとかね。それが高じて、ラーメン屋や温泉について《独自ランキング》を作ったりしていました。
当時の私は、どちらかといえば大人しいほうで、人前で自分のことを話すのが苦手でした。そろそろ就活、という時期、この性格では営業職は向かない、食べ歩きの趣味を活かせる出版社で働きたいと思いました。面接で自分をアピールできるか心配だったので、《舌の力》で判断してもらおうと、独自の食べ歩きランキングを地元のマスコミ各社に送ったんですが、全く相手にもされず、付き合っていた彼女にもフラれ・・・。このままでは自分はダメ人間になると思ったとき、そうだ、自分で料理を作ってみようかな、と初めて考えたんです。
最初に作ったのは《カルボナーラ》でした。しかし火を入れすぎて卵がダマダマになり・・・料理本の通りに作ったのになんで!?みたいな。卵の凝固のことすら知らなかったんですね。そのとき初めて料理って難しいものだと分かりました。

幼な心に感動した料理は「鯉とスッポンの雑炊」。

最初の師匠は、料理上手な母親だった。

それからすぐに料理上手な母に弟子入りしました。母とすれば「なんで就職活動もしないで台所にいるんだろ」と訝しんでいたと思いますが、それでもいろいろ教えてくれました。米の研ぎ方から始まり、だしの取り方、材料の切り方などから。教わるたびにノートにイラスト入りでやり方を描き、メモを添えて残していきました。この習慣は、その後の東京~フランスでの修業時代も続き、ノートも相当たまっています。でも、母に教わっていたころが、いちばん丁寧に書いていましたね。そうやってどんどん料理にハマっていき、将来は店をやりたいと考えるようになりました。大学もそろそろ卒業の時期。両親に料理を勉強したい、授業料はバイトして出すからお願いしますと頼み込んで、翌年は地元・福岡の調理師専門学校で学びました。
学校に入って変わったのは、自分がやりたい料理、です。それまでは地元でリゾットとかドリアの専門店をやりたいな、などと漠然と考えていました。しかし学校で華やかなフランス料理に出会い、さらに『オテル・ドゥ・ミク二』の三國清三シェフの本を読み、なんてかっこいい人なんだ、三國さんのような料理人になりたい!と、思い始めるようになりました。
卒業を前にして、東京の有名店に研修に行くのですが、TVで見るような有名シェフの大きな店から町場のレストランまでいくつか体験しました。そこで感じたのは「東京はすごい!」、「町場のレストランは面白い!」ということでした。学校の先生方は大きなところからのスタートを勧めますが、私はあえて厳しいと言われる町場のレストランに飛び込みました。私のなかでは、まず都内で働き、その後、フランスに修業に出る・・・という計画がありました。しかし一軒目の店は、想像以上に厳しく、まぁ、当時はそういう時代でしたけど、毎日怒鳴られてばかり。町場の店は戦力を求められますからね。使えないやつは不要なんです。あまりに辛くて、どうやって逃れようかとか、ケガをしたら休んで寝られるのに、とかそんなことばかり考えていました。しかしある時ふと考えを変え、「諦めよう」と思ったんです。

最初の師匠は、料理上手な母親だった。

26歳で渡仏。三つ星から町場のビストロまで様々な現場を体験。

それまでは自分の要求を通そうとするから、シンドかったんですね。あれはするけどこれはやらない、ではなく、全部やってみようと思ったんです。ハイって返事して、なんでもやろうと。そうしたら今まで見えてなかった周りの進行状況が見えてきました。それまでは自分しか見えてなかったんですよ。そこからすごく成長できたと思います。たぶんこれが、諦めが肝心ということなんでしょうね。
都内で3年半修業した後、いよいよ渡仏します。とはいえ働き口があるわけでもなく、伝手もなく、とりあえず行った感じなんですが、幸運にも雇ってもらえたのが『PAVILLON LEDOYEN(パヴィヨン・ルドワイヤン)』でした。18世紀からある歴史的な店で、当時は伝説的なシェフ、クリスチャン・ル=スケールが采配を振るい、パリでも最先端の料理を出していました。私はスペシャリテの「ラングスティーヌのカダイフ巻き揚げ」が担当。延々海老にカダイフ(※極細の麺状の生地)を巻く仕事なんですが(笑)、当時のモダンな料理の最新テクニックを見ることができたのは大きかったですね。シンプルにおいしい料理をモダン過ぎないプレゼンテーションで出していて、学ぶことが多かったですね。三ツ星レストランですので、仕事も忙しかったのですが、半年いると、いろいろ心境の変化もあり、新しい場所にいきたくなるもの。次に働いたのは、まったく別のタイプの7区にある町場のビストロ『ラミジャン』でした。ここは食べに行ってすごくおいしかったので、働きたいと思ったんです。とにかく、大人気の店で毎晩2回転は当たり前。夜中の1時に3回転目で60人、みたいな日もありました(笑)。毎晩がお祭りみたいな店でしたが、シャルキュトリー(ソーセージやパテなど、肉の加工品)だけでなく調理全般をやらせてもらったので、面白い経験でしたね。そして次に働いたのがブーランジェリーの『メゾンカイザー』です。パンやお菓子のことを知らなかったので、自分に足りないものを補う気持ちで、畑違いの場所に飛び込むことになります。  (後編に続く)

26歳で渡仏。三つ星から町場のビストロまで様々な現場を体験。

『プーレ・ディアブル』に合う、基本のソース。

『プーレ・ディアブル』とは、訳せば鶏肉の悪魔風、ですね。最初に修業に入った店では、交代でまかないを担当していました。ある日、これを作りたいと言って、シェフにソースの作り方を教えてもらった思い出の料理なんです。鶏肉にマスタードを塗りパン粉をまぶしたフランスの家庭料理で、ビストロのメニューですが、このソースがおいしいんですよ。言われたとおりに作ったら、うまくいったんです。数あるフランス料理のソースの中でも基本のソースなので、これを覚えておくと、ソースの作り方が分かりやすくなるんじゃないかなと思い、ご紹介しました。
おいしいソースにするコツは、お酒がなくなるギリギリまでしっかり煮詰めること。エシャロットを炒めるときも、お酒を入れて煮詰めるときも、常に火加減に注意しながら行ってください。とくに鍋肌から焦げやすいので、焦げそうなときは火からおろして。鶏肉に合うソースですが、クエやハタなどの力強い肉質の魚にも合うソースです。逆に鶏肉は皮目にカリッと焦げ目をつけるのが、おいしさのポイントです。中火ぐらいの火力でゆっくり皮目を焼いていくのがいいと思います。鶏肉は凸凹があるので、火が通りにくいところは上から少し押しつけて焼いてください。火が通りすぎると肉がパサつくので、ジューシーさを残して仕上げてくださいね。

プーレ・ディアブル (鶏肉の悪魔風)

プーレ・ディアブル (鶏肉の悪魔風)

コツ・ポイント

プーレ・ディアブルに合う基本のソースがポイントです。丁寧に煮詰めることが重要。エシャロットをバターで炒めるとき、ワインを煮詰めるときには火加減に注意し、焦がさないこと。焦げそうなら火からおろす、冷ますを繰り返しながらおいしいソース作りのコツをマスターしましょう。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル