ピックアップシェフ

高良 康之 銀座レカン 下っ端時代の僕を鍛えてくれた思い出の料理、オニオングラタンスープとカニクリームコロッケ。

毎晩玉ねぎを山のようにスライスして炒め、家族が悲鳴を上げるほど作り続けた。

将来は自動車メーカーに入って、F1カーを作るのが夢だった。

僕は工業高校の機械科の出身なんです。そう言うと驚かれるんですが、実は料理の道に入る前は、F1カーを作る仕事がしたかったんです。というのも僕が小学生の頃、スーパーカーブームがあってね、友達と外車ショップにスーパーカーを見に行ったり、テレビでやっていたグラチャンシリーズを見たり、モータースポーツに夢中になっていました。F1カーのような速いスピードが出るクルマに、人間が乗るなんてすごい、いつか自分もすごいクルマを作ってみたいと思うようになったんです。
高校の進路を決めるとき、先生にその夢を話したら、工業高校に入学して、真面目に勉強すれば、HONDAの研究所に入れるぞ、と言われました。当時、国内ではHONDAだけがF1に参戦していたので、その言葉を信じて入学したんですけど、でも16歳ですからね、すぐにバイクの免許を取り、バイクが欲しくなった。バイクを買うためにとにかくお金を稼ごうと、学校の勉強は二の次になり、高校の三年間は、バイトに明け暮れる日々でした。ラーメン屋、ティッシュ配り、ビラ配り、運送屋、印刷所、魚屋、喫茶店・・・とあらゆるバイトをやりましたよ。自分のバイクを持ったら、今度は自分でレース用に改造したくなって、いろいろとパーツが欲しくなるでしょう。バイクのパーツって、けっこう高いんですよ。でも店に頼んでやるととんでもなく金がかかるので、パーツを買ってあれやこれや、自分で改造するんです。改造用の道具は、学校にいくらでもありましたからね(笑)。

将来は自動車メーカーに入って、F1カーを作るのが夢だった。

数あるアルバイトの中で、いちばん長く続いていたのは、大きな喫茶店の調理の仕事でした。駅前にあったその店は、近くにテニスコートがあったので、大学生のサークルの人たちなどでいつも賑わっていて、すごく忙しい店でした。あるとき店長に「新しいパフェを作ってみないか」と言われたんです。喫茶店って、飲み物やパフェのトッピングに赤いチェリーをのせるじゃないですか。あれが必ず食べられずに残ってくるのが不思議だったので、僕はチェリーをいっぱいのっけたパフェを作ろうと思ったんです。コーンフレークとアイスクリームを入れて、種を全部きれいに取ったチェリーをいっぱいのせ、その上に生クリームとチョコスプレーをかけたパフェを作って、当時、流行っていた中森明菜の歌をもじり「飾りじゃないのよ、チェリーは」という名前でメニューに入れたら、それが大ヒット(笑)。女子大生のお客さんなんかが、メニューを見て「なにこれ~、おもしろーい」とか言っているのが、調理場まで聞こえてくるわけ。毎日、面白いようにオーダーが入ってきましたよ。

進路がガラリと一変。ホテルの厨房に入って料理の修行をスタート。

そんな風にアルバイトばっかりしていた高校生活なので、卒業するときの成績は180人中で後ろから数えたほうが早いぐらいでした(笑)。自慢じゃないですけど、入学するときは一番で入ったんです。将来、HONDAの研究所に入る夢をかかえてね。でもそれも高一の一学期まででしたね。卒業前のひどい成績を見て、進路指導の先生も両親にも「お前、どうするんだ」と詰め寄られ、そのとき「オレ、料理をやりたい」と言ったんですよ。全員に「はぁー!?」と驚かれました。
僕にしてみれば、決してそのときの思いつきではなく、いたって真面目な気持ちでした。実は小学生の頃、『天皇の料理番』というTVドラマが大好きで、欠かさず見ていたんですよ。秋山徳蔵さんという明治時代にフランスで西洋料理を修行し、初代宮内庁大膳職を務められた方の物語で、様々な苦労をしながら大事な晩餐会を仕切っていく姿に子供心に感動していました。それがきっかけでテレビの料理番組も大好きで、とくに当時、帝国ホテルの総料理長だった村上信夫さんが出る番組は必ず見ているほどでした。心のどこかに料理って面白い、やってみたいという気持ちがあったんでしょうね。それを喫茶店のアルバイト経験が、ぐっと押してくれたと思います。進路指導の先生にも、ホテルに入ってフランス料理の仕事をしたいので、探して下さいとお願いしました。

進路がガラリと一変。ホテルの厨房に入って料理の修行をスタート。

ある日、先生がすごく自慢げな顔で、「おい、希望の仕事を見つけたぞ」と言い、その求人資料を見てみると「帝国ホテル」と書いてあるんですよ。「やったー!先生すごいじゃないですか」と言って中を見ると「職種・ボイラー技師」とあるんです。「ちょっと先生、料理の仕事をやりたいって言ったでしょう」と言うと、「ウチは工業高校なんだから、こういう求人しか来ないんだよ」と言われてガッカリ。まぁ、今でこそ笑い話ですが、幸運なことに、新規オープンする池袋のメトロポリタンホテルが大勢の新卒採用をしていたので、やっと念願かなって、ホテルの厨房に就職することができました。

任されたのは洗い場。包丁を持たせてもらおうと必死で料理の基礎を練習した。

オープンしたばかりのメトロポリタンホテルの料理長と副料理長は、ホテルオークラからいらっしゃった方々でした。希望に胸をふくらませてホテルに入社し、こんなすごいシェフのもとで料理が勉強できるのか、とワクワクしました。でも工業高校出身の僕と違い、同期の人たちは食品関係の高校や調理師学校を出た人が多く、既に料理の基礎がある程度できていたんですよ。それにひきかえ僕は、包丁も持たせてもらえないで、洗い場で皿洗いをする日々が続きました。何が悔しいって、仕事をもらえない悔しさですよ。でも、ここでクサっていてはダメだ、とにかく認めてもらわないことには、料理も教えてもらえないと、仕事が終わったあと、一人で基礎的なことをひたすら何度も繰り返して練習しました。毎日のようにコンソメをひく練習をしたり、じゃがいものシャトー剥きを手がしびれるまでやったり、オムレツも何百回も作りました。作ったものは自分だけでは、とても食べきれないので、夜中の3時とか4時に仲のいいスタッフを呼び出して食べてもらいました。練習用の材料を食品倉庫から調達することは黙認されていましたけど、作ったものは絶対に捨てるな、と言われていたので、山のようにシャトー剥きにしたジャガイモをマッシュして、まかないのスープにしたり、なんとか工夫しながら毎晩、一人で練習していました。

任されたのは洗い場。包丁を持たせてもらおうと必死で料理の基礎を練習した。

その頃、数え切れないほど作ったのが、今回ご紹介するオニオングラタンスープです。まだ高校生の頃、ファミレスで初めて食べて感動した料理なんです。ファミレスですから、コンソメスープに薄い玉ねぎのスライスが浮いているだけの簡素なものですよ。それがホテルのコーヒーショップのメニューにあり、それを食べたときに、ファミレスとはあまりに違う美味しさに驚きました。これが本物のオニオングラタンなのか!ってね。すぐに玉ねぎを山ほど買ってきて、家でも練習しました。毎日毎日玉ねぎを炒め、鶏肉で取ったスープに、フランスパンとおろしたチーズをのせ、オーブントースターで焼くんです。それを毎日家族に食べてもらったので、もういい加減にしてくれ、食べたくないと何度も言われました(笑)。でも、作りたい一心で作る料理は、調理の腕も上がるし、色々な面で勉強にもなり、鍛えられました。ホテル入社当時の下っ端時代に、このオニオングラタンとオムレツは、自分でも呆れるほど作った思い出の料理。ここから僕の料理人の道が始まったとも言えるのかな。そうやって毎日必死に料理と向き合っていると、だんだんとシェフにも認められていくんですよね。
いまでも大好きなオニオングラタンスープ、食べるたびに18歳の頃の自分を思い出します。玉ねぎは焦がし過ぎないこと。焦げた香りが立ってきたら、まだ玉ねぎは茶色くなってなくても火を止めて。それとパンは必ずカチカチに乾かしたものをのせて下さい。チーズは何でもいいのですが、ビストロ風の本格的な味にしたいなら、ぜひグリュエールチーズを使って欲しいですね。

オニオングラタンスープ

オニオングラタンスープ

コツ・ポイント

玉ねぎの炒め時間を短縮したいときは、耐熱皿に玉ねぎを乗せ、しんなりするまで電子レンジで加熱してから鍋に移して炒めると時間が三分の一ぐらいになる。パンはバゲットでも良いし、パルメザンチーズでもおいしく作れます。

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