ピックアップシェフ

山本 晴彦 日本料理 晴山 日本料理の基本の“だし”を 素材に合わせて見事に操る料理人。

『仕事は楽しくやろう』をモットーに。いつ訪ねても心地良い店でありたい。

25歳の若さで店長に抜擢。しかし周囲の風当たりは強かった。

私が19歳からお世話になった岐阜の『日本料理 たか田八祥』は懐石料理の名店ですが、支店に、カウンター割烹スタイルの店がありました。そのなかの一軒『わかみや八祥』に、25歳のとき店長として行くことになったんです。まだ修業をはじめて6年目ですし、オーナーで師匠の高田晴之さんに打診されたときは「とても無理です。先輩方を差し置いて店長なんてできません」と辞退しましたが、「サポートするからやってみろ」と、師匠は聞き入れてはくれません。心を決めて引き受け、店長として『わかみや八祥』に移動したものの、私以外の方々は全員先輩です。後輩だったやつが上に立つなんて、という空気があって、全く私の思うようには動いてくれませんでした。これはまずいと思って、毎朝、いちばん乗りで店に行き、店の掃除をやり、仕込みを済ませ、ひとり黙々と準備をしていたら、だんだん雰囲気が変わってきて、私についてきてくれはじめたんですよ。「山本、おれも一緒にやるわ」とか、「頑張って売り上げを上げよう」というドラマみたいな展開があり(笑)、店の雰囲気が良くなり、本当に売り上げが右肩上がりにアップしていきました。
お客様も、最初はこんな若造に何ができるんだ、と全く信頼してくれない様子でしたが、加熱のタイミング、食事の量、ご注文されるお酒に合わせた料理から、タクシーをお呼びする時間まで、それぞれのお客様の好みを把握し、頭に叩き込み、全ての期待に応えていたら、「若いけどこいつはなかなか見どころがある」という風に私を見る目が変わっていきました。その後、また別の支店『こがね八祥』に移動することに。ここでも低迷していた店の売り上げを2か月で上げることができました。支店で店長を務めさせていただいた6年間で、料理人として、人間として、様々なことを鍛えられたと思います。その後、独立して店を持った後も、いろんな苦労がありましたけど、この店長としての経験に比べれば、何なく乗り越えられるものでしたし、心の強さをぐんと成長させてくれた、素晴らしい経験だったと思います。

25歳の若さで店長に抜擢。しかし周囲の風当たりは強かった。

ずっと夢だった東京での独立。苦労しながらも明るさは失わなかった。

『たか田八祥』に入った19歳のときから「31歳で独立して東京で店を持ちたい」と、師匠には伝えていました。なにせ栃木の田舎もんですから、やっぱり勝負するなら東京しかない!という気持ちが強かったんです(笑)。『こがね八祥』で働きながら、休日に上京し、物件を見て回りました。六本木、西麻布、うわー!銀座 みたいな(笑)。舞い上がりつつも一生懸命物件を探し、この店に出会いました。すぐに気に入り、契約までこぎつけました。三田については何も知らなかったんですけどね。今までためた貯金をほとんどはたいて、契約金をドーンと振り込んだのが2011年の3月10日でした。翌日があの震災です。
なんてタイミグが悪いんだろうと思いました。岐阜の常連さんをはじめ、知り合いの多くには「やめたほうがいい」と言われました。少し心が揺らぎましたが、せっかく振り込んだお金がもったいないし、ダメだったらやり直せないばいいんだから、とにかく店をはじめよう、と。『日本料理 晴山』は6月20日東京・三田にオープンしました。
最初の半月こそ、親戚や友人たちが来てくれて店は賑わいましたけど、それからはパタッとお客様が来なくなりました。考えてみれば岐阜で働いていたので東京に知り合いはいないし、宣伝にかけるお金もなく・・・。そんな悲惨ななかでも、誰も来ないから帰っちゃおうとか、飲みに行っちゃう?とか、開き直りと言うか、なぜか暗くならずにはっちゃけていましたね(笑)。それでも毎日20人分ぐらいの食材を仕入れていたので困りました。しょうがなくシャリを炊いて、魚を昆布締めにし、店にある材料でちらし寿司を作って、近所のお寺や美容院などにお配りするようなこともしました。そんなとき、ある夜「今から行っていいですか」というお一人様の予約の電話が入ったんです。それが小山薫堂さんでした。

ずっと夢だった東京での独立。苦労しながらも明るさは失わなかった。

ひとりひとりの顔を見て決める《おまかせ》料理。

小山さんが《dancyu》で連載されているコラムで『晴山』のことを書いてくださり、その後沢山のお客様が来てくださるようになりました。今だにあの記事を読んで来たという方も多いです。それからは予約も入るようになり、コンスタントに席が埋まる日が続き、私も料理人として徐々に手ごたえを感じていきました。
独立したからといっても、店長時代から変わったことはほとんどありません。チームとして『仕事は楽しくやろう』と常にスタッフには伝えています。スタッフの中には4番バッターもいるし、バントがうまい子もいるし、盗塁が得意な子もいる。適材適所ということですが、そこを評価してあげて、ひとりひとりが進化を遂げて欲しいと思っています。自分もそうでしたからね。やっぱり私達がピリピリしていると、お客様にも伝わりますので、楽しい職場でありたいと思っています。
開店当時はアラカルトメニューもやっていましたけど、今はおまかせコースのみでやっています。日本料理にはルールがありますが、私のなかで絶対にこうしなければならない、ということはありません。いちばん大事なのは、お客様に喜んでいただけるかどうか。おまかせの料金は、どの方からも同じ額をいただきますが、その内容はひとりひとりのお客様のお顔を見て決めているところが大きいですね。そういう意味の《おまかせ》です。例えば寒いなか来てくださった方に最初に冷たい料理から出すよりは、まずは温かい料理からお出ししたいし、その逆に暑い日にはキンキンに冷やしたものをお出ししたい。そこはお客様の気持ちになって考えています。この店に来て席に座ったお客様がどうされたいか、を常に考えていますね。それがこの店のカラーになっていくと信じています。 (終)

ひとりひとりの顔を見て決める《おまかせ》料理。

まかないで食べた冷たくておいしい『塩鮭の冷やし茶漬け』。

今回お教えする『冷やし茶漬け』は修業時代に何度も食べた思い出のまかない料理です。料理店は常に忙しいので、立ったままささっと食事済ませることもよくあります。特に夏場は厨房の中がすごく暑いんですよ。そういうときの冷やし茶漬けはありがたいごはんでしたね。冷蔵庫で冷やしておいた残りごはんと”だし”を使い、焼いて身をほぐしておいた塩鮭や、野菜をのせて食べるんです。甘さのある蕎麦の《かえし》をちょっとたらすとさらにおいしいです。ご家庭にはいないと思うので、市販のめんつゆで代用してください。塩鮭は辛口のものが合います。
前編でご紹介した茄子の料理も、だしがおいしさの決め手になります。うちの店では多いときで12~13種類のだしを用意し、食材や料理に合わせて使っています。私自身、だしに対して相当マニアックなので、だしの話をはじめると止まらなくなってしまうほどなんですけど(笑)、小さいうちからだしの旨みを知っていることは、とても大切だと思います。お子様がいるご家庭は、できるだけ成長期に昆布やかつおぶし、さばぶし、野菜だしなど、天然のものからきちんをだしを取って、食べさせてほしいですね。かならず味覚が育つと思います。

塩鮭の冷やし茶漬け

塩鮭の冷やし茶漬け

コツ・ポイント

ごはんにかけるだしは、キンキンに冷やした状態にしてからかけてください。 ごはんはサラサラにしたほうがおいしいので、流水さっと洗います。残りごはんで十分です。 細かく刻んだ薬味を数種類用意すると風味豊かになり、おいしさが増します。 ※調理時間に、出汁を冷ます時間は含みません。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル