ピックアップシェフ

高橋 義弘 瓢亭 本店 京料理を牽引する老舗の15代目として、 国内外に向けて和食の魅力を発信。

幼な心に跡を継ぐと決めていた家業は、いちばん好きな仕事だった。

大好きなお粥や半熟卵を食べ続けて、米やだしの旨みの感覚が身についた。

450年続く『瓢亭』の長男として生まれ育ち、今年2016年、まもなく私は料理人として20年を迎えます。いまもってなぜだか分からないんですが、小学校の3、4年の頃「僕は家を継ぐ」と作文に書いたことがあります。当たり前のことのように書いたのが不思議なんですが、親父の姿を見てそう思ったのか、うまく仕込まれたのか、よくわからないんですよね(笑)。でもなんとなく「僕がなるんやなー」という意識は幼心にもありました。
店のすぐそばに家があるんですが、なぜか調理場は私にとってこわい場所だったので、小さい頃は立ち入りませんでした。その代わり、店の庭には良く入り込み、鯉に餌をやって、滑って池に落ちたり、姉たちと兄弟げんかしては泣きながら店に逃げ込んだりしていました。両親ともに店で働いていましたので、毎日帰りが遅く、夕飯は店からまかないを運んでもらい、姉たちと子供3人で食べることが多かったですね。親父たちの帰りを待って、遅い時間に食べることもありましたが、その前に寝てしまって、よく2階の寝室まで親父に背負われて運ばれていたのを憶えています(笑)。
実は幼い頃は好き嫌いが多くて、焼魚とハンバーグぐらいしか食べられなかったんです。好きなものしか食べないので、よく叱られては罰として洗濯場に追いやられていました。それが嫌で丸飲みしたこともあったなぁ。つらかったですよ。それでも店で出している『お粥』と『瓢亭玉子』だけは食べられたので、夏の時期はそればかり食べていました。子供の頃いちばん食べたものは、その2つかもしれません(笑)。もちろんお粥も卵も、すっかり冷めてるんですが、それでもおいしかったですね。冷たいほうがお米本来の味や、出汁のきいた葛あん、半熟玉子のおいしさが、温かいものよりもいっそう分かるんです。小学校の高学年あたりから、コロッと好き嫌いが無くなり、何でも食べられるようになっていきました。
自分で料理をはじめたのも、その頃ですね。お腹がすくので自分で玉子焼きを焼いたり。出汁巻きではなく普通の玉子焼きですけどね。店が忙しいときに、笹巻寿司の葉っぱを巻くのを手伝ったりするようにもなっていました。

大好きなお粥や半熟卵を食べ続けて、米やだしの旨みの感覚が身についた。

京都を離れて東京で学生生活を謳歌し、卒業後は金沢で修業。

自意識が芽生えてくる中・高校時代を振り返ると、特に親達をてこずらせることもなく、落ち着いた日々だったと思います。ただ、小学校の頃から学校の先生や、知らない大人たちに、「あの子は瓢亭の子や」みたいに言われることは、あまり嬉しくなかったですね。まぁ、京都にいる限り、そう言われてしまうのは、しょうがないことなんですけど、大学は京都じゃない場所に行きたいと希望し、東京の大学に進学しました。経営学を学びながら、テニスサークルでがっつりとテニスにも没頭し、文字通り青春を謳歌していました。アルバイトもしましたよ、まかないが食べられる焼肉屋さんでした(笑)。一人暮らしだったので、メシ付きは重要ですからね。
大学卒業後は、親父から勧められた金沢の料亭『懐石 つる幸』に修業に行きました。店主の河田三郎さんはご自分で包丁を握る料理人で、お茶人でもあり、後進の指導に長けた方でした。私の他にも京都の料理屋の跡取りが、何人もお世話になっていたほどの名店です。『つる幸』では3年ほど修業しましたが、やはり外のメシを食うのは、すごく大事なことだと身をもって体験した気がします。自分のところにいただけでは、分からへんことっていっぱいあるんですね。それを外に出て初めて分かりました。いま振りかえってみても貴重な経験でした。例えば人間関係もそうですし、料理屋としての心構え、考え方というのかな。修業を終えて強く感じたのは、『瓢亭』も『つる幸』も大事なことは一緒だな、ということです。料理や器の使い方だけでなく、お客様に対する姿勢も、従業員に接する姿勢も、共通するところはたくさんあるんだけど、それをきちんと見せていただいたことが、すごく勉強になりましたね。

京都を離れて東京で学生生活を謳歌し、卒業後は金沢で修業。

親父を超えるというより、時代に合ったものを築いていきたい。

25歳のとき、金沢での修業を終えて京都に戻り、いよいよ『瓢亭』で働きはじめました。自分の生家とはいえ、全く店のことがわからないまま東京で学生生活を送り、そのまま金沢に行ってしまったので、しばらくは『瓢亭』のやり方に戸惑った時期もありました。その時は、金沢で学んだことが私の基準でしたから、細かいところで違う部分が見えてくるんです。1年ぐらい、どうも勝手が違うな、と感じながら働いていましたが、ここはこうしたほうがいいと思う、と親父に訴えるようなことはなかったですね。京都に戻って17年経ち、今なら、ああ、これは親父のやり方で良かったんだ、と感じることがあります。年をとらないと分からないというかね、そういうことなんですね。
父と比べて自分は全然違うこともないし、全く一緒でもない、そういう思いがあります。ずっと親父のやっていることを見てきているので、自分にはできひんな、と思うこともある。でも親父を超える、超えないというより、時代が変わったなぁ、と思うんですよね。戦時中に生まれ、戦後と高度成長期を生き抜いてきた人と自分とでは、明らかに違いますよね。年齢も違うし、視点も違います。私はこれからの時代に合った料理や文化を、自分のやり方で築いていければ、と思っています。
最近は瓢亭15代目という肩書で、マスコミなどに出ることも多くなりましたけど、とくに親父から、明日からお前が主人だ、と言われたわけでもなく、ごく自然に、例えば、親父のお客様を私が担当するようになったりしながら、少しずつ仕事が増えていったというのが実感です。それとともに親父が調理場よりも講演会や料理教室など、外へどんどん出ていくようになりました。私より積極的に出張に出かけていますからね、すごいですよ(笑)。去年の2015年、社長という肩書になり、とはいってもやることは全く変わってないんですが、店の大規模な補修工事や調理場のリニューアルなど、全て私が任されてやりました。今年から『瓢亭』はだいぶ変わりました。お客様の幅も、ありがたいことに、国内外問わず広がっていると感じます。(後編に続く)

親父を超えるというより、時代に合ったものを築いていきたい。

暑い夏にこそ食べて欲しい、温かい『鶏と冬瓜のにゅうめん』。

暑い時期は冷たいものを食べたくなりますが、料理人としては、暑い時季こそ温かいものを食べて欲しいと思っています。『瓢亭本店』では、7~8月だけ『朝がゆ』を朝食としてお出ししています。というのも、暑いときに温かいものを食べて汗を出して体を冷やす、その方がずっと代謝も良くなると考えているからです。逆に冷たいものばかり食べていると、体が冷え、かえって食欲がわかなくなりますので、温かいものをあえてお勧めするというのが、うちの伝統です。店のまかないでも夏季によく登場するメニューです。麺もうどんより喉越しが良くて食べやすい、にゅうめんにしました。8月には店の懐石コースでも、麺を入れた温かいお椀をお出ししています。油焼きした魚を、もう一度炭火で炙って、温かいにゅうめんに載せてお出ししています。
今回選んだ冬瓜と鶏肉は、私自身が好きな組み合わせなんです。日本料理のベーシックな手法で、食材の香りを引き出し、季節を意識した野菜や薬味の取り合わせで、食欲をそそる料理になります。南瓜や胡瓜、冬瓜といった瓜の仲間は、食べると夏バテしないとも言われていますし、夏が旬のおいしい野菜ですからね。なかなかご家庭で大きな冬瓜を使い切るのはたいへんですが、カットしたものやミニサイズの冬瓜で十分ですので、ぜひ、使ってみて欲しい食材です。鶏と炊き合わせてもおいしいので、余ったら煮物などにしておいしく召し上がってください。

鶏と冬瓜のにゅうめん

鶏と冬瓜のにゅうめん

コツ・ポイント

鶏肉は固くならないよう2段階で火入れします。皮目は焼いて香ばしく、身はしっとりと炊き上げてください。 素麺は固めに茹で、しっかりと流水でもみ洗いして、ヌメリや塩味を取り除きましょう。 食べる直前に素麺をサッと温め、出汁を注ぎます。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル