ピックアップシェフ

下村 邦和 SHIMOMURA 愛情を込めて丁寧に作れば、なおおいしいおふくろ味の唐揚げと本格派ブリのアラ煮。

子供のころ誕生日に必ず作ってくれたごちそう、柔らかいおふくろの唐揚げ。

毎週日曜は小学生の僕が家族にチャーハンを作っていた。

僕は東京の品川で生まれ、その後、父の仕事の関係で神奈川県川崎市に引越し、小学校と中学校を川崎で過ごしました。家族は両親と3歳年上の姉、僕の4人です。僕は小さい頃からモノを作るのが好きな子供で、いろんなものを作っていました。何もないところから、何かを作り上げるというのかな、料理や裁縫も好きでしたし、ちょっと大掛かりに、日曜大工的なこともやっていました。木を買ってきて自分の部屋にベンチを作ったり、テーブルを作ったりとかね。そういうモノ作りは、趣味の範囲ですが、いまも時間があるときに続けているんです。僕のホームページに手提げバックとかアクセサリーなど、料理とはあまり関係のないハンドメイド的な作品を紹介しているので、よく「意外だね」と言われますが、ほんと、昔から何かを作り出すことが大好きなんです。料理も小さい頃から母親に教えてもらっていたので、台所に立つことが好きでした。最初におふくろに教えてもらったのは、チャーハンだったと思います。ウチは貧乏でしたので、ご飯を塩と胡椒で炒めただけのチャーハンとか、野菜炒めといっても、具は肉はおろか、キャベツだけとか(笑)、ちょっとお話するのも、気恥かしいような料理も食卓に上がりました。でもそんなおかずでも、おふくろが作るものは、何でもおいしかった記憶しかありません。

毎週日曜は小学生の僕が家族にチャーハンを作っていた。

チャーハンを覚えた小学生の僕は、毎週日曜日、家族のためにチャーハンを作るのが習慣になっていました。具はハムと卵ぐらいの、シンプルなものでしたけど、みんなおいしい! と食べてくれました。食事だけでなくスイーツも大好きだったので、ケーキやクッキーなども作るようになっていました。僕がつくるお菓子も、けっこうおいしくて、家族は喜んでくれました。ある年のバレンタインデーに、女の子から手作りのチョコレートをもらったんですが、それが全然おいしくなくてね(笑)。ホワイトデーのお返しに、その子に僕が作ったチョコレートをお返しにプレゼントしたこともありました。さくらんぼにチョコレートをかけて、きれいに丸くなるよう洗濯バサミで止めて冷凍庫で冷やし固めたチェリーチョコ。すごくうまくできて、その女の子にも喜んでもらいましたよ。その頃からかな、頭のどこかにパティシェになりたいとか、料理人になりたい、という淡い夢を抱いていました。

中学に入って不良の道に入り、ケンカに明け暮れる日々。

家族のために食事を作ったり、お菓子を焼いたり、捨て猫を拾ってきてかわいがるような子供だった僕ですが、中学校に入る前ぐらいから、急激に変わっていきました。小学6年生なのに、オープンシャツに紫のカーディガンを羽織って街を歩くような、いわゆる“ツッパリ”ファッションになってね。そんな風に変わっていったのは、当時、中学生だった地元の先輩でもある暴走族のヤンキーのお兄さんたちが、僕にはすごくカッコ良く見え、服装とか髪型をマネし始めていたんですよね。外見だけ見たら、とても小学生には見えない格好です。いま思えば、小学生だったから、そういうかっこうをするヤツは“ワル”とか、まだ全く意識がないんです。単純にカッコいいな、マネしたいな、というだけで。中学に入った頃から、昔からの仲間も一斉に、そういうファッションになっていきましたからね(笑)。ウチの両親も小さい頃からよく知っている友達ばっかりでしたので、「本当はみんな、根はいい子なんだよ」と見ていたのか、「アイツらとつき合うのは止めろ」とは、全く言わなかったですね。ただ、父親には「何やってもいいけど、先生だけは殴るな」と言われましたけど(笑)。まぁ、そんな風だったので、中学の入学式から先輩に目をつけられ、いきなり呼び出されて殴られました。それをきっかけにワル仲間に入り、先輩後輩の上下関係を叩き込まれ、隣町の中学とのケンカに駆り出されたり、悪いことをするたびに母親が学校に呼び出されたり、どんどん“不良”として、周囲に認知されるようになっていきました。

中学に入って不良の道に入り、ケンカに明け暮れる日々。

でも、パンチパーマをかけて、不良のカッコして、不良をやっていても、両親に対しては常に、申し訳ない、という気持ちがあるんですよ。戸惑いっていうのかな、両親に心配や迷惑をかけている苦しさや、不良の世界独特の理不尽なルールや上下関係に、心のどこかで逃げ出したい、と思う気持ちがあったのかもしれません。14歳に成長した僕は、もう日曜日に家族のためにチャーハンを作る息子ではなくなっていたけど、それでも両親は変わらず、自分のことを支えていてくれたんですよね。それを思い知らされた出来事がありました。

母の愛情料理を忘れかけていたとき、忘れられない出来事が。

その頃、毎週土曜日はきまって母がパートをしていた蕎麦屋さんに行って、カツ丼を食べていました。毎度、無言で店に行き、タバコを吸いながら漫画を読み、カツ丼を食べて金も払わず無言で帰る、というどうしようもない態度でね。それでも毎回、母は笑顔で迎えてくれて、カツ丼を出してくれました。ある日、いつものようにカツ丼を食べに行くと、母がいなくて、代わりに店の奥さんが怒ったような顔で、「あんたに話がある」と言うんです。そのとき母が、いままでずっと奥さんに、僕のことを「本当は優しくていい子なんです。いまは迷っているから、あんな風な態度をとっているけど、いまに絶対わかってくれます」と、繰り返し話していると聞きました。しかも僕がカツ丼を食べに来る日は、店の賄いも食べず、休憩も取らずに働いていると…。続けて奥さんに「今日はあんたの誕生日だから、大好きな唐揚げとポテトサラダを作って待っている、と言ってたよ。今日はちゃんと家に帰りなさい」と叱られました。その頃は、ろくに家にも帰ってなかったので、その一声で自分は母の作る料理が大好きだったんだ、あの唐揚げがまた食べたい、と思い出し、昔の家族で食卓を囲んだ幸せな光景が、バーっと目に浮かんできました。その日は、奥さんのおごりで大盛りカツ丼をいただき、涙を隠して食べながら「母を昔のように喜ばせることができるまで、もうカツ丼は食べない」と決心していました。

母の愛情料理を忘れかけていたとき、忘れられない出来事が。

今回お教えする「おふくろの唐揚げ」は、僕や姉の誕生日だとか、子供時代のごちそうとして、母が何度も作ってくれたメニューです。家族全員が大好きで、料理人になるまでは、唐揚げとはこういうものだ、と思っていました(笑)。母のやり方は、調味料と卵を一緒に混ぜるのではなく、調味した鶏肉を最後に卵水にくぐらせるんですけど、そうするとフワッとした感じに揚がるんですよね。そういえば母が「卵に水を混ぜると、揚げ油が汚れないのよ」とも教えてくれました。卵水で包んで揚げるから柔らかく、くしゃっと揚がるのがおいしくて、ご飯にすごく合う唐揚げなんです。以前、総調理長として働いていた横浜にある関東郷土料理の店でも「鶏の昔揚げ」という名前で出していて、とても人気がありましたし、もう大学生と高校3年生になったウチの子供たちも、小さい頃から大好きなメニューで、作ってあげると喜ばれました。どこのご家庭でもよく作る、ありふれたメニューですけど、僕にとっては母の愛情が透けて見えるような、特別なおかずなんです。この唐揚げの味を思い出した14歳の時、蕎麦屋の奥さんにおごってもらって以来、絶対食べなかったカツ丼は、料理コンテストで優勝したとき、封印を解いて食べました。そのときやっと、母に恩返しができた、と自分自身に納得できたと思えたのでね。23年ぶりでした。

おふくろの唐揚げ

おふくろの唐揚げ

コツ・ポイント

揚げ温度は、165度くらいから徐々に180度に上げていくイメージで調理すると、きれいに仕上がります。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル