ピックアップシェフ

田中 貴士 パッション ドゥ ローズ お菓子のひとつひとつからフランスの空気と私の情熱を感じて欲しい。

フランス菓子の魅力が詰まったエクレールはパリで働いていた頃の思い出の味

あなたは料理が好きなんだからという母親のひと言で決まったパティシエへの道

私は埼玉県で生まれ、7歳上と2歳上の兄がいる男兄弟三人の中で育ちました。お菓子や飲食の世界とは全く無縁の普通の家庭です。
兄たちがそろって野球をやっていたので、私も子供の頃はひたすら野球に熱中するスポーツ少年。とにかく負けず嫌いの性格でしたので、兄が中学校の野球部の副部長を努めたと聞けば、自分はその上の部長に絶対なってやる、というような、一度思い込んだら歯を食いしばってでも頑張る子供だったと思います。そしてめでたく野球部の部長になれたものの、将来、野球で食べていくということには冷静に限界を感じていました。
それで中学校の進路相談の三者面談の時に、母親に「オレはプロにはなれないと思う」と打ち明けたんですよね。かといって勉強もそれほどできる方じゃなかったので、どうしようと思っていたら、母親が「あなた料理をやればいいじゃない。好きなんだから」と言うのです。

子供の頃から兄たちに「なんか作れよ」と言われては、台所に立って当たり前のようにいろいろ作っていました。男兄弟の縦社会なので、命令されるがままに(笑)。母と一緒に食事の支度をすることもよくあり、昔から料理をするのは好きだったんですよね。その母のひと言で、そうだ、自分には料理の道がある、と一気に気持ちが固まり、決心しました。
そう決めると純粋というか直情型の性格なので、高校には進学しないですぐに料理の修業をする、と主張したんですが、家族に高校だけは卒業してくれ、と懇願されて調理師の免許が取れる高校に進学しました。
一度思いこんだらわき目もふらずに努力するというこの性格は、いまも変わっていないと思いますし、いま思えばこの仕事にはうってつけだったかもしれません。

あなたは料理が好きなんだからという母親のひと言で決まったパティシエへの道

嫌がられるほど熱心に技術を観察して覚え、少しずつ仕事を獲得していった

高校を卒業した18歳のとき、いろいろ考えたあげく、コックではなくパティシエを目指そうと決心していました。同時に10年後に自分の店を持つ、という向こう見ずな目標まで立てていました。
とにかくパティシエの修業ができる店に就職しようと、都内の有名店にかたっぱしから面接を申込みましたが、どこの店も2年以上の経験がないと雇えない、という返事。唯一、いい返事をいただけたのは『タイユバン・ロブション』、現『ジョエル・ロブション』でした。
しかし希望していたブティックではなく、採用されたのは2階のメインダイニングのデザート担当。自分としては将来、店を持つことを考えて、販売するお菓子を担当するブティックのほうで働きたかったのですが、それは叶いませんでした。でも必ず異動できると信じて日夜レストランで頑張っていました。
そしてやっとブティックに行かせてもらえたときは飛び上がるほど嬉しかったのですが、同時にケーキのことを全く知らない自分に気づかされました。
まず、厨房がフランス語なんですよ。こちらはフランボワーズって何ですか、みたいなレベルなので、まずは用語から覚えなくちゃならない。私としてはここで全てお菓子のことを覚えて独立できれば、と考えでいたので、もう毎日必死ですよ。でも現場の責任者のスーシェフは、そうやすやすとは教えてくれません。だから横で見て覚えて、わかったところで「やらせてください」と頼み込むんです。同僚には「お前、よくそんなふうに頼めるな、すごい」と言われましたけど、嫌われても覚えたい、学びたいという一心です。
いやがられてもシェフのそばに行って、毎日ちょこちょこ仕事を覚えて、たまに質問して、また睨まれて・・・という繰り返し(笑)。仕事を取られると自分の仕事がなくなる世界ですからね、本当に厳しいんです。
しかしこの地道な努力をめげずに続け、ケーキと焼き菓子、そしてムースやチョコレートまで、ここで洋菓子の技術をひと通り覚えることができました。

嫌がられるほど熱心に技術を観察して覚え、少しずつ仕事を獲得していった

フランスでの目標はきちんとお金を稼ぐことと、自分の技術が通用するかの確認だった

『タイユバン・ロブション』を辞めたあと、アラン・デュカスが『ブノワ』をオープンする、という話を聞きました。
すぐに面接を申し込み、めでたくパティスリースタッフとして採用されたのですが、入ってみたら料理人もサービス担当も、8人いた同年代のパティシエも全員揃ってフランス帰り。さらにフランス人のシェフパティシエから「技術的に見てもお前をスーシェフにしたいけど、フランスに行ってないので、ちょっと難しい」というようなことを言われて、そのとき「絶対にフランスに行ってやる」と気持ちを固めました。
どうせ行くなら修行ではなく、ちゃんとお金を稼げる仕事をして、技術を認めてもらうよう挑戦しに行こうと。例えばケーキの生地はちゃんと作れる自信はありますが、これはフランスでも通用するのかどうか。もし間違っていたら、自分の店を出すときに「これがフランス菓子です」と堂々と言えないですからね。私が身につけた技術をフランスで確かめたかった。
そうと決めたらワーキングビザを取り、すぐさまフランスに渡りました。しかし働く場所は決めていなかったんです。それで大胆にもパリの『オテル・プラザ・アテネ』の『アラン・デュカス』のシェフパティシエに電話して、働く場所を紹介して欲しいと頼みました。
紹介されたのがまだオープンして間もない『des GATEAUX et du PAIN』という女性シェフのパティスリーでした。この店は毎日行列ができるほどの人気店にも関わらず、作り手はシェフと私二人きり。毎日目が回るほど忙しかったです。
早朝から必死にシュークリーム100個にクリームを詰めたり、サントノーレ400個用意しても、お昼すぎにはもうケーキが2個ぐらいしか残っていないような状況。週末にはクロワッサンだけで600個も売れていましたからね。作っては出し、作っては出し、ですよ。フランスはすげーな、量が違うよ、と毎日驚くばかりでした。
シェフは私の働きぶりをみて、当初の予定より五割増しのお給料を出してくれたことは、私の技術を認めて信頼してくれたんだなと実感し、すごく嬉しかったですね。ここでは1年弱お世話になり、クロワッサンやブリオッシュのパン系の技術も教えてもらい、日本から持ってきた目標をついに達成できたと充実感を感じました。 (後編へ続く)

フランスでの目標はきちんとお金を稼ぐことと、自分の技術が通用するかの確認だった

買ったらすぐに歩きながら食べてしまうほどフランス人に愛されているエクレール

今回お教えするお菓子は私が思う最もフランスらしいお菓子『エクレ―ル』です。
『des GATEAUX et du PAIN』で働いていた当時、毎日一心不乱にクリームをはさんだ思い出のお菓子でもあります。フランスに行って驚いたことのひとつなんですが、エクレールは買ってすぐに道を歩きながら食べている人がすごく多いんですよ。『des GATEAUX et du PAIN』でも、いいお年の老夫婦が、店の前でパクっと食べていたりするんです(笑)。
最初はエクレアを歩きながら食べるなんて!とびっくりしましたけど、それがフランス人。フランス人にとっては、すごく身近で愛されているお菓子なんですよね。シュー生地は15センチ絞り出して焼きますが、これはフランスの標準サイズ。たっぷりしたサイズからも、パリの雰囲気を感じていただきたいと思っています。
私の店『パッション・ドゥ・ローズ』では、月替わりで違ったエクレールをお出ししていますので、毎月楽しみにしているお客様も多いんです。この『エクレール ピシターシュ エ フレ-ズ』は、まだお店では出していない、とっておきのエクレールです。クリームはピスタチオペーストをカスタード、生クリームに合わせた鮮やかな色のピスタチオシャンティー。そしてフレッシュな苺をのせます。
とても贅沢なお菓子ですが、先ほど言ったように、エクレールは歩き食べもOKなカジュアルなお菓子。フレッシュなフルーツを挟むよりも、フランスではジャムやコンフィチュールを使うのがポピュラーですので、家で作られる場合はジャムでも美味しくできると思います。シュー生地の作り方もより簡単にしていますので、ぜひチャレンジしてみて下さい。

エクレール ピスターシュ エ フレーズ

エクレール ピスターシュ エ フレーズ

コツ・ポイント

1.シュー生地はオーブンに入れたら30分は開けてはいけません。シュー生地がしぼんでしまいます。 2.シャンティーピスターシュはさっくりと合わせたらそれ以上混ぜないこと。   混ぜすぎるとクリームがやわらかくなってしまいます。

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