ピックアップシェフ

徳永 純司 ザ・ショップ N.Y.ラウンジ ブティック   ドキドキする感覚を失わない限り、いい仕事ができていると感じる。

アシェット・デセールとの出会いで人生が変わった。

職人として働いていた祖父と父のように、将来は職人になりたかった。

タオルの生産で有名な愛媛県今治市が、私の故郷です。祖父は和菓子職人、父は大工という職人の家柄に育ちましたので、子供の頃から私も、将来は何かのモノ作りをする職人になりたいと漠然と考えていました。でもその頃はまだ、お菓子の道に進むとは思っていなかったですね。とはいえ、母の手伝いでちょくちょく台所に入っては料理の真似事みたいなことをするのが好きな子供でした。いちばん好きだったのは、出汁を取ることでした。出汁とは鰹節と昆布で取るもの、と母に教えられていたので、どんな料理を作るときも、ちゃんと出汁をとってから、が決まりでしたね。そうやって取った出汁で親子丼を作ったり、そうめんのつゆを作ったりしていました。出汁を取るのが好きな小学生という、今思えば変わった子のようですが、和食とはそういうものだと思い込んでいたんです(笑)。
高校生になったとき、飲食の道に進むことを決心するのですが、最初は料理人になるか、パティシエになるか、と迷っていました。そのとき背中を押してくれたのが祖父の存在です。祖父はすでに仕事からは引退していましたが、ときどき作ってくれる蒸しパンなどのおやつが、すごくおいしかったんです。祖父は和菓子をやっていたので自分は洋菓子職人になろうと思いました。それに誕生日に母が買ってきてくれたショートケーキが毎年楽しみでしたし、当時は一人でホールケーキを丸ごと食べられるぐらい甘いものが大好きだったんですよ。高校が男子校だったので、パティシエになれば、学校に女の子がたくさんいるんじゃないかとか、甘い妄想もあり(笑)。家族も好きな道に進めばよい、という意見だったので、高校卒業後は進学せず、大阪の大手ホテルにパティシエとして入社しました。

職人として働いていた祖父と父のように、将来は職人になりたかった。

夜中まで一人残ってひたすらシュー生地を焼いていた。

パティシエを夢見てホテルに入ったものの、最初の一年はサービス担当としてレストランや結婚式で働きました。翌年、今度は料理のほうに回され、パティシエとして全く仕事ができなかったので、別のホテルに転職しました。その後、働くことになったのが大阪郊外のパティスリー『パティスリーナツロウ』でした。ここで修業した1年半余りの日々で、パティシエとして相当鍛えられたと思っています。今でも忘れられない思い出が、シュークリームです。シュー生地作りを任せられたものの、同じ大きさに焼けなくて毎日のように怒られていました。もうこれは何度も練習してコツをつかむしかないと思い、オーナーや先輩に内緒で、夜中に一人でシュー生地を焼いていました。電車もなくなってしまう時間なので、原付バイクを買って、毎晩2時3時までひたすらシュー生地を焼いて、帰宅して少し寝て、また朝から通常勤務です。その甲斐あって、シュークリーム作りは自信がつきましたね。まぁ、その当時はつらい思い出ばかりですが、まだ二十歳だったので、がむしゃらに頑張れた気がしますし、ケーキ作りの基礎は全てこの店で叩き込まれたと思っています。
『パティスリーナツロウ』で1年半ほど働き、その後再びホテルに転職しました。22歳のときです。
ここまで4軒の店で修業したことになりますが、転職を決めるときは、今の仕事にドキドキすることがなくなった、と思えるときでした。やっていることは楽しくても、新しいことがやれなくなったらドキドキもしないし、もう学ぶこともない、というのかな。そう感じ始めてしまうと、ほかの場所で自分を試したいという気持ちが強くなり、新たな環境で働いてきました。現職の『ホテル インターコンチネンタル 東京ベイ』に移ったときも、同じ気持ちでしたし、その後の自分なりのルールにもなったと思います。

夜中まで一人残ってひたすらシュー生地を焼いていた。

自由な発想でデザートを構成する《アシェット・デセール》との出会い。

『守口プリンスホテル』では、それまでの町場のパティスリーとは全く違う、レストランとウェディングのデザートを担当することになりました。いままでやったことのない幅広い仕事ができるようになり、とても楽しかったですね。『パティスリーナツロウ』で覚えた洋菓子の基本を、新たな職場の『守口プリンスホテル』で様々な形で応用できた時期だと思いますし、いままで普通のスポンジ生地しか知らなかったのに、メレンゲだけで焼く生地とか、いろんなバリエーションを教えてもらい、職人としての知識も相当増えました。
《アシェット・デセール》との出会いも、このホテルでした。《アシェット・デセール》とは、コースの最後に提供する皿盛りのデザートですが、当時のシェフから、デザートをやってみろと言われ、そこから私の人生が大きく変わってきたように思います。お店で売るケーキを丁寧に作り上げることも、もちろん面白いんですが、デザートはその日の気分や料理によって、自由に形を変えられることが楽しかったんです。冷たいものと温かいものを一緒に盛ることもできるし、自分のお菓子の幅が一気に広がった気がしていました。コンクールに出始めたのも、この頃でしたね。『守口プリンスホテル』の同僚は、積極的にコンクールに出場している人が多かったので、私もどんどん挑戦するようになりました。とはいえまだその頃は予選に通ることもなかったのですが、パティシエとしての可能性が、大きく広がったと感じていました。いつか結果が出ることを信じて、コンテストには出続けようと、挑戦を続けていました。
そして2004年、25歳のときに転職したのは『ザ・リッツ・カールトン大阪』のメインダイニング『La Baie』でした。  (後編に続く)

自由な発想でデザートを構成する《アシェット・デセール》との出会い。

修業時代に苦労して覚えた『シュー ア ラ クレーム』

シュークリームは幼い頃から大好きなお菓子でした。スーパーなどで売っている小さなシュークリームがいくつか入っている袋入りのシューを、お小遣いでよく買っていました。前述したように、本格的に洋菓子修業が始まったとき、最初にぶつかったのが、シュー生地作りでした。何度教わってもうまく作れずに、夜中に一人で練習してうまく焼けるようになった嬉しさは、修業時代の忘れられない思い出です。いま『ホテル インターコンチネンタル 東京ベイ』の『ザ・ショップ N.Y.ラウンジ ブティック』で販売している『シュー ア ラ クレーム』も、この時代に学んだレシピがベースになっています。中に詰めるのはクレームパティシエールです。しっかりとシュー生地を焼きこんで、つややかに炊き上げたクレームパティシエールを詰めて、おいしく召し上がってください。ご家庭のものなので、少しぐらい大きさにバラつきがあっても気にしないでくださいね(笑)。

シュー ア ラ クレーム

シュー ア ラ クレーム

コツ・ポイント

クレームパティシエールは、卵黄とグラニュー糖に、空気を含ませるようにしっかり混ぜること。 加熱する時は、鍋底から焦げ付かないように混ぜながら、ぐつぐつしてきて光るようなツヤが出るまで炊き上げること。火が弱いと糊状になってしまいます。 ※調理時間は生地を冷凍する時間を除きます。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル