ピックアップシェフ

工藤 淳也 徳うち山 伝統に留まらない視野の広さを持って、一歩先を行く料理とおもてなしを目指したい。

山形県民が人生で初めて作る郷土料理・芋煮は料理人としての僕の原点です。

やりたいことがあったら遠回りはしないで、できれば真っ直ぐ目的に向かいたい。

ドイツから日本に戻ったのは23歳の時です。あまり話していないことですが、のちに『銀座 うち山』でお世話になった2年間を挟んでその前後の数年間、実は10数軒の飲食店で働いています。帰国後、まずは『とよだ』に戻ってふたたびお世話になり、1年後、親方の紹介で24歳の時に日本橋に開店した日本料理店の料理長を任されました。その後は日本料理にこだわらず、昼も夜も様々な業種の飲食店で助っ人として働きました。イタリアン、フレンチ、大手の居酒屋・・・。昼夜で全く違う店で働いたこともありますし、サービスの仕事をしたことも。ときには紹介に頼らずに、バイト情報誌で店を探したことも。言うとびっくりされますけど、全く畑違いの一軒家のイタリアンバルのシェフを、1年ぐらいやった事もありますよ(笑)。それらは全て自分にとって様々なことを学ぶ恵まれた時間でした。

やりたいことがあったら遠回りはしないで、できれば真っ直ぐ目的に向かいたい。

私はひとつの店に長くいたくない考えです。もちろん基礎をしっかりと学んだ後の話ですが。やりたい事に向かって常に真っ直ぐに生きたい、無駄を省いてできれば遠回りはしたくない。24歳で料理長になった時も自由に料理するのはやりがいがありましたが、よその仕事も見たい、まだまだ覚えたい技術があると常に考えていました。短期間で色々な事を覚えるには、昼・夜と別々の店を見たほうが早いと。日本料理の世界だけにいると、例えば大根の桂むきが、どれだけ薄く綺麗にできるか、どれだけ千切りが繊細にできるかとか、そういう事が重要視されます。もちろんそれは大事なことですが、お客様はそれで喜ぶわけではありません。おいしい料理やレベルの高いサービス、空間がもっとも大事だと。日本料理の世界には、伝統という名にくくりつけられた矛盾がたくさん存在します。お客様の事を優先する立場なのに、お客様が喜ばない事に時間と体力を使う事がまだまだあります。そこが20代でたくさん独立する洋食のシェフ達と、30代でまだまだ若手と言われ独立できない板前の世界の違いだと思います。そんな思考を早くから持っていたので、なんでも貪欲に学べましたし、畑違いの仕事をしていても、日本料理の世界に戻ればいつでも自分の仕事を自身を持ってやれると思っていた20代でした。

“あの店の暖簾分け”ではなく、私の料理を食べたいというお客様が増えてきた。

『銀座 うち山』で店主・内山英仁さんに2年程お世話になった事はかけがえのない経験でした。その後は様々な店で料理長をやっていた矢先、内山さんから「そろそろもっとしっかりした場所で、働くべきじゃないか」と言われました。『銀座 うち山』を辞めたあとも、内山さんは私が働く店を変える度に顔を出して下さって。当時私は32歳。「日本料理の世界に戻り、本気でやらなきゃいけない時期が来たか」と腹をくくりました。

“あの店の暖簾分け”ではなく、私の料理を食べたいというお客様が増えてきた。

2011年の8月に、私の店『徳うち山』がオープンしました。『銀座 うち山』からほど近く、名前をいただき、暖簾分けされた店といえども自分のカラーを出したい、できれば自分のオリジナルの料理をお出ししたいと、気合が入ったスタ-トでした。『銀座 うち山』といえば『鯛茶漬け』がとても有名ですが、頭の片隅のどこかに二番煎じは嫌だと思っていたので、当初私は炊き込みご飯をお出ししました。でもあまりにも来られるお客様に「うち山で修行したのに、どうして鯛茶漬けがでないのか?」と言われてしまい(笑)。お客様の要望に答えるのが商売だと考え方を変え、臨機応変に両方ご提供できるように、今は鯛茶漬けもお出ししています。オープン当初は予約されたお客様が、ご接待のお相手に、私の店がミシュラン一つ星の店の暖簾分け店という説明をされて、「ほんとはあちらがよかったけど、予約が取れなかったので、こっちですみませんね」と、連れの方に説明する方が多かった。または「本家の料理はシンプルなのに、こっちはごちゃごちゃしているな」と比較され。くやしくて「シンプルな料理がお好きなら、そういうお店へどうぞ」と言ってしまった事もあります(笑)。最初の頃は我慢の時期もありましたが、比較されるのは暖簾分けされた宿命、と割り切り没頭した毎日でした。今ではもう一度『徳うち山』の料理を味わいたい、というお客様が次第に増えていき、予約が難しい店にも数えられるようになりました。それは本当に幸せなことだと思っていますし、内山さんに感謝してもしきれません。

今まで経験したことを活かした新しいスタイルの日本料理店をいつかやってみたい。

『徳うち山』をスタートして2年が経ちました。やっと日々の仕事に慣れてきたところですが、まだまだ突っ走っている状態なので、やりたいことや課題はたくさんあるものの、なかなか実行する機会がありません。食材は故郷の山形の物、山形牛や山形のお米、山菜、茸、フルーツ等をなるべくたくさん使いたいと思っています。余裕が出来たら、生産者のために貢献できるような仕掛けを実現して交流したいとも。先々には、店をもっと広いところに移りたい、料理もサービスももっとレベルの高いものを提供したいと、やりたいことだらけです。休みの日には大好きなフレンチの食べ歩きをしていますが、フレンチレストランのような優雅な空間作り、洗練されたサービススタイルを活かした日本料理店をいつかやれたら、とか、気軽に飲めるバルみたいな店もやってみたいと思ったり。そんな事を常に考えながら夢を膨らませています。まだまだ発展途上ですね。

今まで経験したことを活かした新しいスタイルの日本料理店をいつかやってみたい。

今回お教えする料理は、山形県民らしく『山形芋煮』です。ご存知の方も多いと思いますが、山形には里芋の収穫シーズンの秋に、河川敷などに大勢集まって野外で芋煮会をする習慣があります。僕も幼稚園の頃から参加していましたし、小学校では毎年恒例の学校行事。一年生から自分達で芋煮鍋を作ります。山形県民にとって人生で初めて作る料理が芋煮ですし、私にとっても料理人の原点である郷土料理、とも言えます。材料は里芋と牛肉が不可欠。秋ですから旬の美味しいキノコを入れます。このレシピは店では10月限定でコースの中の一品としてお出しするものですので、いい牛肉を使い少し上品な味付けになっています。まさに10月は芋煮のシーズン。季節もぴったりですので、ぜひ山形の味をご家庭でも味わっていただきたいと思います。

山形芋煮

山形芋煮

コツ・ポイント

里芋とこんにゃくの下ごしらえが大事です。しっかり水煮をし、アクと不純物を取り除きましょう。味の入りにくい里芋とこんにゃくから先に煮はじめ、野菜は煮すぎないよう、あとから入れます。火加減は中火でコトコトと煮込みます。

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