ピックアップシェフ

新井 正彦 韓国料理 ほうば  韓国料理で初のミシュランの星を獲得。 イメージが変わる驚きの発想に満ちた料理。

厨房の仕事だけでなく接客の大切さを学んだことが自信になった。

コリアタウンで育ちながらも、韓国料理はあまり好きじゃなかった。

1975年、大阪の生野コリアタウンの近くで生まれ育ちました。いま『ほうば』で一緒に働いている母は、僕が小さいころから近所の飲食店の手伝いをしていて、その後、韓国風の居酒屋を営んでいました。そんな風に母が忙しく働いていたので、毎日母の店に夕ご飯を取りに行き、それを家に持ち帰って家族で食べる、そんな生活でした。そう書くと子供の頃から韓国料理を食べて育ったように聞こえますが、実は当時、韓国の家庭料理があまり好きではなく(笑)、法事などで親戚が集まるときぐらいしか食べていなかったですね。ナムルとかを出されても全然食べないので、母もだんだん作らんようになってね(笑)。まぁ、キムチだけは毎日食卓に上がっていましたけど。
ちょうど僕が中学生のころ、イタリアン・ブーム、ティラミス・ブームが起こりました。ときどき大阪にあったおいしいイタリアン・レストランに連れて行ってもらい、韓国料理よりイタ飯だ、みたいな感じでしたね。それまでスパゲティと呼んでいたものがパスタになり、薄焼きのピッツァや濃いチョコレートのデザートにびっくりしたりして、本格的なイタリア料理がどんどん日本に登場したころです。とはいえ、食べ歩きは好きでしたが、自分が料理人になるとは全く思っていなかったですね。当時は教師になりたいと思っていたんです。もし学校の成績が良ければなれたのかもしれませんが、そこまで優秀でもなく。ちょっと変わった、天邪鬼的な子どもでした(笑)。部活だけは真面目にやっていて、水泳大会や陸上競技の大会などは頑張っていましたね。
そろそろ高校卒業がせまり、将来の進路を決めるという時期、色々考えた末、サラリーマンとして就職することを決心しました。

コリアタウンで育ちながらも、韓国料理はあまり好きじゃなかった。

楽しくコミュニケーションができる職場で、働こうと思った。

入社したのは、精密機械などの部品の金型を作る工場でした。コンピューターを制御しながらミクロの世界の繊細な仕事を一日中ひたすら行う職場です。モノ作りの専門職として、仕事自体は面白くて楽しかったのですが、黙々と精密機械と向き合っている毎日。人と接する機会が少なく、会話をすることが少なかったせいか、誰かと話したいと思うようになるんですね。
人と接する仕事がしたいという思いを抱いて、イタリア料理の世界に飛び込みます。21歳の時でした。入ったのはパスタ料理が専門のカジュアルな店でしたが、とても繁盛していたので毎日忙しかったですね。そこでみっちり働き、料理人としての基礎を学び、給料もよかったので貯蓄ができました。将来の店長候補としても期待してくださっていたのですが、僕としてはもっと厳しい店で自分を磨きたかったんです。それで当時、大阪の繁盛店として知られていた本格的なリストランテ『カラバジオ』(現在は閉店)に入りました。そういう店で修業を始めて、今まで働いていた店との圧倒的なレベルの差を知りました。基礎的なことが全く分かっていなかったし、思っていたことと全然違ったんですよね。しかも店は毎日忙しい。とにかくしんどかったです。始発近い電車で早朝に出勤し、終電ぎりぎりまで働きづめです。それでも楽しかったのは店のメンバーが素晴らしい人ばかりだったから。辛いけど楽しい、そんな日々でした。『カラバジオ』で3年ほど働いたころ、自分の次のステップを考え始めていました。一生、飲食の仕事を続けるのなら、今の自分に足りないものはなんだ、ということをいろいろ思い巡らせていました。

楽しくコミュニケーションができる職場で、働こうと思った。

飲食の仕事を一生続けるために自分に足りないものは何かを考えて。

将来、イタリア料理のシェフとして独立するための準備として、学ぶべきことは経営の才覚だと感じました。それを知りたくて転職したのが大手の飲食店チェーン、(株)フジオフードシステムでした。例えば原価率みたいなことはキッチンにいてもなんとなく分かりますが、店全体の経営コストは全く分かりません。そういう数字的なことを現場で直接見ていきたかったのです。
入社して、色々な業種の飲食店にマネージャーとして配属され、売り上げを上げるための営業、スタッフの教育など、サービスの責任者として働いた経験は、いまも大いに役立っています。
とはいえ、チェーン店なので、しっかりとしたマニュアルがあります。値段もメニューも決まっているので、それ以上のことはできません。それでも売り上げをアップさせることができたのは、わざわざ食べに来ていただける店作りをする、それに尽きます。一生懸命やったのは一緒に働くスタッフの教育です。接客のブラッシュアップで売り上げがアップする、それはまさに狙い通りでした。レストランはなんぼおいしい料理を作っても、お客さんが心地良いと思う、喜んでくれる、ということがなければダメなんですよね。大切なのはホールの仕事、という気持ちはいまも変わりません。
30歳までに独立したいというプランがあったので、29歳で会社を退社しました。いよいよイタリア料理店開店に向けてスタート、というとき、身体を壊していったん店をやめていた母が、また店をやりたいと言い始めたんですよ。とはいえ僕がしたいのはイタリア料理ですし、でも母は韓国料理しか作れないし、じゃぁ、とりあえずお母さんの店を手伝うわ、と、2004年にオープンしたのが『ほうば』でした。  (後編に続く)

飲食の仕事を一生続けるために自分に足りないものは何かを考えて。

韓国かぼちゃ・なす・クレソンのナムル3種盛り。

今回お教えする料理は「ナムル」です。子供のころはほとんど食べなかったナムルですが、この年になって好きになってきました(笑)。『ほうば』でもコースの最初に、その季節の旬の野菜で作ったナムルの小皿を15種類ぐらいお出しするので、それを楽しみにいらっしゃる方も多いんです。もともと韓国料理は、野菜をたくさん食べる料理です。昔は世界的に見ても野菜を豊富に食べる国でもありました。先人は血糖値を抑えたり、糖の吸収を減らすという意味合いで野菜からまず食べるという習慣があったのです。いまでも焼肉屋さんに行くとまずほうれん草やもやしのナムルが出てくるのは、その伝統が残っているからです。意味は分からなくても、知らず知らずのうちにそういう形として残っているんですね。そういう考え方を知っていただきたかったので、ナムルを選びました。野菜は韓国かぼちゃ、なす、クレソンを使っています。店名「ほうば」の意味は、韓国カボチャなんですよ。
作り方は本当に簡単です。下ごしらえは野菜の種類によって「蒸す」か「炒める」か「ゆでる」だけ。それを塩とごま油で和えるだけ。おろしにんにくを入れるレシピもありますが、うちでお出ししているナムルは、ほとんど塩とごま油しか使いません。ナムルにする野菜は旬のものなら何でも使えます。おなじみのほうれん草や大根、もやしだけでなく、きのこなどいろんな野菜で作ってみてください。

ナムル3種盛り(韓国かぼちゃ・なす・クレソン)

ナムル3種盛り(韓国かぼちゃ・なす・クレソン)

コツ・ポイント

それぞれの野菜に合う下ごしらえをします。 熱を加えてしんなりさせた野菜は、必ずあら熱が取れてから調味すること。 なすはペーパーなどで軽く水分を取っておく。 和えるときはぐいぐい力を入れてやらないで、さっと混ぜあわせるように調理しましょう。

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