ピックアップシェフ

後藤 祐輔 アムール  日本人にしかない感性を発揮し、進化するフレンチを見せたい。

何もできなかった最初のフランス修業。必ずここにもう一度戻ることを誓った。

料理人になると言ったら父が大反対。それが悔しくて・・・。

僕の父はフレンチの料理人でした。そう言うと、父の跡を継いだように聞こえますが、どこか影響を受けてはいるけれど、料理の道を選んだのは、父の背中を追ったわけではないんです。とにかく父は忙しい人で、子供のころはほとんど家にいなかったので、記憶がほとんどありません。幼稚園児のころ、久しぶりに会った父が出かけるとき、僕が「また来てね」とお願いしたという、笑い話もあるほどです(笑)。学校の行事や、クリスマスなどにも父が家にいたためしがなく、父親はいないものだと思っていました。そんな境遇だったので、中学、高校のはじめまでは「父のような料理人にだけは、絶対ならない」と固く誓っていました。
勉強よりも美術や体育が得意だったので、将来はなにかものを作る仕事をしたいと思い、美容師か建築関係の専門学校を希望していました。調理師専門学校は、ついでに見学してみるかとか、その程度の気持ちでしたが、高3の時に希望校をひととおり体験入学で回ったら、調理師学校がいちばん面白かったんですよね。それで母親に「調理師学校に入りたい」と言ったら、父にも話しなさいと言われました。当時は全く父と会話も無かったような状態でしたけど、正直に伝えたら「絶対に無理だ、お前のようなヤツに、務まる世界じゃない」と即、大反対ですよ(笑)。いままでちっとも面倒を見てくれなかったので、なぜここで自分を否定するのかと、悔しくて、悔しくて・・・。それで「絶対に料理人になってやる」と、入学を決めました。
在学中はというと、勉強よりもアルバイトと遊びに精を出した1年でしたね(笑)。卒業を控え、就職先を探しましたが、なかなか決められないでいたところ、フランス校のパンフレットを見たんです。そこには海外留学の素晴らしさが紹介してあり、まだ見たことのない世界というか、外国に行ったことがなかったこともあり、「日本で働くよりもフランスに行きたい!」と思ってしまったんです。それで両親に頼み込み、留学費用を出してもらうことになりました。そこからですね、料理人としての意識に火がついたのは。フランスに渡って半年間は学校でみっちり勉強し、残り半年は現地のレストランに入り、修業することになりました。

料理人になると言ったら父が大反対。それが悔しくて・・・。

トップクラスの店で修業し、料理人としての基礎を築いた。

学校から紹介されたのは、アルザスのミシュラン三ッ星レストラン『オ・クロコディル』でした。ひと言で言えば、修業は辛い日々でした。当たり前なんですが、仕事のことや言葉が分からない以上に、外国人ということで理不尽な扱いをされたり・・・。生まれてはじめて、泣いて親に電話しました。「もう辞めようと思う」と。父には「だからお前には無理だと言っただろう」と言われ、それも悔しくて、もうどこにも頼れるものはない、という思いでした。自分の人生で、あれほど辛かったことはないけど、見返してやるために「絶対にここにまた戻ってくる」と、心に誓いました。いま思えば、良かったと思います。あれ以上辛い経験はないですし、20歳にして相当鍛えられ、強くなったので、今後何があっても全部乗り越えられる、と。それほどの経験でした。
帰国後は再び就職活動です。辛かったとはいえ、ミシュラン三ツ星の店でスタートしたので、東京でもトップクラスのレストランで働きたいと思っていました。銀座の『レカン』に入れていただけたのは、嬉しかったですね。とはいえ、いちばん下っ端なので、1年目は洗い物と玉ネギ、ジャガイモの皮をむくだけで終わりました。すっかり腹をくくって修業していたので、一切遊ばず、朝7時から深夜までは働き詰めでした。再びフランスに渡るためにフランス語の学校にも通っていました。『レカン』には4年間お世話になりましたが、僕の料理人としてのベースを、全て学ばせていただいた場所です。そして25歳のとき、ワーキングホリデービザを取り、フランス・アヴィニヨンのミシュラン一つ星レストランで働きはじめました。タダ働きではなく、お金もきちんともらえる契約です。もし僕がお金をもらわずに働くと、後から来た日本人ももらえなくなってしまうので、そこはちゃんとした≪しくみ≫を作っておきたかったんです。

トップクラスの店で修業し、料理人としての基礎を築いた。

自然が育てた食材を変化させ、最高に感動してもらえる料理を作る。

入ってすぐに肉部門に回されたのですが、部門シェフから「2週間後にバカンスに行くから、それまでに仕事を覚えてくれ」と言われました。それで彼の不在の間、シェフをやりましたが、グランシェフが僕の仕事を認めてくれて、そのまま肉部門を任されることに。すごく幸運でした。同時に3人のフランス人が部下になったのですが、最初はなめられていましたよ、なんで日本人の下で働くんだ、って。でもグランシェフが「ユウスケの言うことを全て聞いて働け」と言ってくれたので、気持ちよかったです(笑)。その後はまだ行ったことのなかったフランス・バスクに移り、短期間ミシュラン二つ星の店で働いた後、シャルキュトリーで働きました。肉の加工品の店はフランスでは、とてもポピュラーですし、僕自身、その仕事に興味もあったので、ぜひ修業したかったのです。
2度目のフランスは約1年半滞在し、27歳の時に帰国しました。『レカン』で働きはじめたころから、「30歳でシェフになりたい」というのが、ひとつの目標だったので、それが実現するまでは、日本でスーシェフのポジションで働きたいと思っていました。ちょうどそのとき紹介されたのが、岸田周三シェフの『カンテサンス』でした。そしてお店の立ち上げから、オープニングに関わることができました。ここまで10年間、必死でフランス料理に集中し、学んできたので、自信もあります。ある程度、料理も自分のスタイルでやってきて、フランス料理とはこういうもの、という方向性もだいぶでき上がっていました。しかし岸田シェフの料理は、それを全く覆すものでした。なんだこれは!ということの連続で、見たことのない料理、聞いたことのない考え方・・・僕はフランスの地方で修業していたので、当時のパリの最先端の料理を、全く知らなかったことに気づくんです。「自分はフランスにいたのに、全く学べていなかった」という葛藤と、苦い挫折感。しかし同時にまた、「またやり直しだ。もっともっと頑張らなくては」という気持ちも湧き上がってきました。     (後編に続く)

自然が育てた食材を変化させ、最高に感動してもらえる料理を作る。

『ケバブ風スパイシーオープンサンド』

今回お教えする料理は、フランスでポピュラーなケバブのサンドイッチです。フランスは北アフリカからの移民の方が多いので、ケバブの店はあちこちにあるんです。19歳の時に過ごしたアルザスでの修業の日々はとても厳しく、お金もなく、いま思い出しても辛い日々でした。休日の日は店のまかないがないので、外食をするのですが、だいたいケバブ屋に行っていました。安くてボリュームがあり、スパイシーに味付けされた羊肉と野菜が、なんともおいしかったんですよね。当時の唯一の楽しみであり、ごちそうでしたし、辛く悲しい思い出もいっぱい詰まった料理なんです。いまでもフランスへ行くと、必ず一度は食べに行きますね(笑)。
ケバブサンドに使う肉は通常羊肉ですが、レシピでは手に入りやすい牛肉にしました。もちろん豚肉でもおいしく作れます。野菜をキャベツや玉ねぎにしても良いと思います。パンもピタパンの代わりにイギリスパンなどでオープンサンド風にしても大丈夫です。最近日本でもケバブが食べられる店がちらほら出てきましたが、日本人向けなのか、スパイスが控えめですね。この料理はスパイスが効いていた方がおいしいです。レシピではカレー粉を使用しましたが、クミンやシナモン、ジンシャーなどお好きなスパイスを多めに使うと、より本場風の味になると思います。

ケバブ風スパイシーオープンサンド

ケバブ風スパイシーオープンサンド

コツ・ポイント

脂の少ない赤みの牛肉と調味料をビニール袋に入れ、手でもみ込んだら5~10分ほどおいて、しっかりと味をなじませること。ビニール袋を使うともみ込みやすく、全体的に味がしみこみます。肉は強火でさっと焼き上げましょう。

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  • 文:北條尚子
  • 写真:キッチンミノル