ピックアップシェフ

工藤 淳也 徳うち山 伝統に留まらない視野の広さを持って、一歩先を行く料理とおもてなしを目指したい。

子供心に日本料理の“粋”を感じた西京味噌仕立ての茄子の田楽。

日々の食卓は母と祖母が地元の食材で作る田舎料理。食べたいものは自分で作っていた。

私は山形県の中央部、西川町という出羽三山のひとつ、月山の麓の町で男三人兄弟の末っ子として生まれました。西川町は夏スキーができる場所として有名であり、風光明媚な自然に囲まれた田舎町です。私が上京するまでコンビニが一軒もないような(笑)。普段の食事は母よりも祖母が作ることが多く、豊富な山の幸を使った山菜料理や煮物が中心。海から遠い町なので、魚といえば辛口の塩鮭くらいでした。小学生の私は田舎料理よりもハンバーグやエビフライなどの洋食が食べたい年頃。母や祖母にお願いして作ってもらってもイメージと違うものが出てきてしまう。美味しい洋食が食べたい私はお小遣いを持って家の近所に一軒だけある喫茶店へオムライスやハヤシライスを食べに行きました。たまに行く隣町のデパートのレストランで、お子様ランチを注文してワクワクしながら待っていたり、『包丁人味平』や『美味しんぼ』などの料理漫画を読んでいたので、兄達と“料理対決”と称してはピザトーストやオムライスなどの食べたい洋食を競争しながら一緒に作っていたのも良い思い出です。料理をするのも、おいしいものを食べ歩きするのも大好きな子供でした。

日々の食卓は母と祖母が地元の食材で作る田舎料理。食べたいものは自分で作っていた。

私が中学生になった頃、東京で日本料理の料理人として働いていた叔父が地元に戻り、山形に自分のお店を開きました。当時、東京でトップだったという老舗料亭で腕を磨いてきた叔父が作る料理は、それまで食べた事がないおいしいものばかりで食べる度に感動していました。中学3年になり高校進学を考える時期になったとき、僕が料理好きと知っていた担任の先生から調理科のある高校を勧められ「ああ、そうか、そういう道も面白そうだな」と入学を決めました。

叔父の店を手伝いながら日本料理のおいしさに魅了され、東京で本格的な修業をスタート。

高校では和・洋・中の料理の基本的な勉強をしながら、帰宅後は毎日夕方から閉店まで、叔父の店でアルバイトをして毎日新しい事を覚えられるのがとても楽しく思えました。3年間働いて魚も下ろせたし、だし巻き卵も作れたし、簡単な事はできるようになっていました。高校生にとって日本料理屋の料理はとても贅沢でしたし、店で食べる和食ってこんなにおいしいものかと衝撃を受けました。将来の事は何も考えていなかったけど、叔父から「お前は高校を卒表したら東京で修業してこの店を継いで欲しい」と言われていたので段々とその気になっていき、料理をする叔父が格好良く見えて憧れの存在になり、料理人になろうと決心しました。今の自分があるのは叔父のおかげだと感謝しています。

叔父の店を手伝いながら日本料理のおいしさに魅了され、東京で本格的な修業をスタート。

18歳で上京した私は日本橋の日本料理店『とよだ』で働き始めました。『とよだ』は毎日昼も夜も予約で満席で、相当な数の仕出しもこなしておりものすごく忙しいお店でした。親方の橋本享さんは叔父の後輩に当たる方でした。先輩の甥っ子という私を入りたての下っ端にも関わらず、本来は店の先輩の方々に教わるところを親方から直々に仕込んでいただきました。今振り返るとありがたい事だったと思います。先輩方に申し訳ない気持ちもありましたが、それが逆にやる気に繋がり、言われた事は全部覚えよう、何を任されてもすぐにできるようになろう、と毎日必死に働いていました。とても厳しい親方でしたが、未熟だった私に日本料理の基礎と帝王学を徹底的に教えて下さり、料理人として鍛えていただき今も心から感謝しています。
修業を始めて3年が経った頃、親方から「ドイツにある和食の店で料理人を探しているから誰か行かないか?」という話があり、魅力的な話だと思ったので「行かせてください!」とお願いしてドイツに渡ったのは21歳の時でした。多少の不安はありましたが、私にとって山形の田舎から東京に出るのも海外に出るのも、さほど変わらない感覚でした。

21歳でドイツの日本料理店へ。海外生活の楽しさを謳歌しながら視野を広げた。

ドイツではボンの日本大使公邸の近くにあった、日本料理店『上條』で2年働きました。オーナーが寿司を担当し、他の料理を私が担当するという願ってもない経験をさせていただきました。東京で学んだ技術を発揮しながら、毎日真剣に料理に取り組んでいたので、お客様からお褒めの言葉をいただくのはとても嬉しいことでした。ドイツといえばワインとビール。あまり飲まなかったワインですが、外食はドイツ料理、フレンチかイタリアンがほとんどだったので、自然にワインに興味が湧き知識も増えました。休みの日はドイツと周辺の国をあちこち旅行しました。海外にいると日本にいる時と違い、良い意味で大雑把になり、小さな事にくよくよしなくなりました。人間として成長できた素晴らしい経験だったと思います。『上條』のオーナーにはとてもかわいがっていただき、将来この店を継いで欲しいと言ってくださいました。ありがたいお話だったので、そんな人生も悪くないと少し考えましたが、旅している時ふと、「そういえばこんな風に日本を旅したことがない」と、望郷の念みたいなものが急に湧き上がり、日本をもっと知りたいと思い帰る決心をしました。

21歳でドイツの日本料理店へ。海外生活の楽しさを謳歌しながら視野を広げた。

今回お教えする料理『秋茄子の冷たい田楽』は、叔父の店で食べて感激した料理です。叔父は賀茂茄子と京都の西京味噌を使うスタンダードな田楽でした。まさに“料亭の味”で「こんなにうまいものがあるのか!」と、今でも舌が記憶している思い出の料理です。叔父の作る料理の数々に体が強烈に反応し、「料理人になりたい!」と志したのですから、“料理人の原点”と言える料理の1つだと思います。季節は秋、おいしい旬の秋茄子を使い現代風に少しモダンで軽いタッチのレシピです。作り方はシンプルですが、ひときわ季節感を感じる一品だと思いますので、ぜひご家族で深まる秋の味を楽しんでいただきたいと思います。
60歳を過ぎた叔父には、山形に帰る度に「もう歳だからそろそろ辞めたい。早く継いでくれ」と言われますが(笑)、「東京でどんな料理が流行っているんだ?」とか「あの料理の作り方を教えてくれ」と料理人同士の会話ができるようになったのはすごく嬉しいことです。

秋茄子 冷たい田楽

秋茄子 冷たい田楽

コツ・ポイント

なすは短時間で揚がりますので、揚げすぎないように注意しましょう。なすがやわらかくなりすぎてしまいます。 合わせ味噌は他食材にも合わせられますし、酢を加えれば酢味噌としてお楽しみいただけます。

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