ピックアップシェフ

高良 康之 銀座レカン 下っ端時代の僕を鍛えてくれた思い出の料理、オニオングラタンスープとカニクリームコロッケ。

トップクラスのシェフが本気でカニクリームコロッケを作っている姿を見て、たくさんのことを学んだ。

早朝から夜中までコーヒーショップでもまれながら。料理の基本を体で覚えた。

ホテルの厨房の花形といえば、メインダイニングやバンケットの仕事だと思いますが、僕はホテルメトロポリタン入社後ほどなく、コーヒーショップに行くことになりました。ホテルオークラからいらした浅野シェフが「お前は忙しい場所で仕事を覚えたほうがいいから、うちに来なさい」と引っ張って下さり「分かりました」と従いました。ご存知のようにホテルのコーヒーショップは営業時間が長く、僕がいた「コーヒーショップ アイリス」も、朝6時から25時半までノンストップで営業していて、とにかく忙しいレストランだったんです。しかもトンカツやおにぎり、あんみつまで、和洋中のあらゆる料理を出していました。かなり体力的にもキツイ職場なので、辞めてしまう人も何人かいました。おかげでずっと洗い場だった僕にも、ついに調理に関われるチャンスが回ってきました。寝るヒマもないほど多忙なコーヒーショップの仕事でも、僕にとって大きな幸運だったのは、当時、日本のフレンチ界を牽引していた料理長の浅野シェフの仕事ぶりを、毎日間近で見られたことだと思います。ご紹介するカニクリームコロッケも、そのころ浅野シェフから教えてもらったもの。コーヒーショップのキッチンで、ホテルオークラから来られた浅野シェフと広田副料理長というトップシェフお2人が、毎日一生懸命クリームコロッケを手で丁寧に成形している姿を見て感動したんですよね。たかがクリームコロッケといえど、嫌な顔もしないで本気でせっせと作っている姿。「どうだ、うまそうだろう」という自信に満ち溢れていてカッコイイとすら感じていました。

早朝から夜中までコーヒーショップでもまれながら。料理の基本を体で覚えた。

クリームコロッケは、とにかくフレンチの基本でもあるベシャメルソースがうまく炊けないと、おいしく作れないシンプルな料理。僕もフランス料理の本で読んだ知識で、ベシャメルがどんなソースかは、頭では分かっているつもりでしたけど、実際に目で見ないと分からないことも多いんです。
バターに小麦粉を入れたら絶対に焦がさないこと、クッキーの焼き上がりのような香りがしてきたら、小麦粉に火が通った合図、鍋底が見えるようにかき混ぜると、ソースに空気が入りツヤが出てくる…という大事なポイントを、料理長直々で教えてもらったことは、その後の僕の料理に大きな影響を与えました。きちんと基本を理解できると、後輩や弟子にもちゃんと伝えてあげられるんですよ。クリームコロッケはとにかくベシャメルソースが命の料理。最高のソースを作るつもりで作らないと、絶対おいしくはなりません。それが入社後まもなく分かったことは、僕にとってすごく有意義な経験でしたし、僕がいちばん影響を受けたシェフは、浅野さんだと思っています。

フランス料理にどんどんのめり込み、すぐにフランスに行くしかないと思った。

浅野シェフのデスクには、フランスのレストランのメニューや有名シェフの書いた料理の本がたくさんありました。その後、僕が働くことになるポール・ボキューズとか、ジョエル・ロブションが初めて三ツ星をとった時に出した美しい本などを見せてもらいながら、いろいろシェフに質問をしていました。シェフも気軽にいろんなことを教えてくれるので、ますますフランス料理にのめり込んでいくようになり、自分も行ってみたいと思うようになりました。ちょうどその頃、ホテルの先輩がパリに行くことになり、しかもミシュランガイドで二ツ星の「ヴィヴァロア」という店だと聞き、うわ、そんなすごい店に行けるの!僕も行きたい!もう頭の中はフランスに行くことでいっぱいになりました。その先輩に、どこでもいいから働ける店を紹介して下さい、と頼み、ついに僕もホテルを辞め、フランスに渡りました。21歳の時です。

フランス料理にどんどんのめり込み、すぐにフランスに行くしかないと思った。

紹介してもらった最初の店は、ちょっとあてが外れた感じでしたけど(笑)、ロワイヨンという海辺のリゾート地にあるオーヴェルジュでした。仕事は毎日毎日、生牡蠣の殻を開け、または目の前の海でとれる魚を、シンプルに焼くぐらいでしたけど、それでもフランス料理を修行しようと前向きな気持ちで働いていました。フランスに渡って三軒目の店がパリの「ラ・プティット・クール」という店でした。そこは厨房に4人しかいない小さな店で、いきなりいちばん重要な仕事、ソーシエを任されたのです。僕にとっては、かなりプレッシャーでした。ある日、名門ホテル「オテル・ド・クリヨン」を二ツ星にした有名シェフ、ジャンポール・ボナンが、ひょっこり店に来たんです。彼はここの料理顧問をしているそうで、僕を見て「なんでジャポネがソーシエやってるの!?」と相当驚いたようでした。そのとき彼は、僕を徹底的に仕込むと決めたようで、月に2回、店に来てはフォンド・ヴォーの引き方から始まり、一からソースの作り方を教えてくれました。手の皮がむけるほど仔牛の骨を包丁で細かくさせられたりして、ここは虎の穴か(笑)、と思うぐらい約半年間厳しく仕込まれましたよ。でも、いま思えば本当にありがたい経験でしたね。フランスには約3年ほど滞在し、5軒のレストランで仕事をしました。どの店にも思い出があり、いまでも頭を抱えたくなるような失敗や、泣けるほど辛い思い出、思いがけない素晴らしい出会いなど、全部話すと3日ぐらいかかるので止めておきますけど(笑)、思い切って若いときにフランスへ行って本当に良かったと思います。

店にいるスタッフは、全員シェフになってもらいたいと願っている。

18歳からの料理人としての日々を振り返ると、人の縁を大切に生きてきたことが良かったのかなぁ、と思いますね。いま日本でもトップクラスの名店と言われる「レカン」を任されているのも、人の縁のおかげだし、すべてがいまに繋がっている気がしています。料理に対する姿勢とか、自分が追い求めるものっていうのかな。コロッケの作り方一つとってもそうだし、玉ねぎを炒める動作ひとつにしても、自分が会得しようと努力していると、誰かが手をかしてくれました。またはラクをしようとすると、ちゃんと苦言を言ってくれる人もいました。そういう人が日本にもフランスにも、僕の周囲にたくさんいたおかげで、いまの僕があると確信しています。いい縁に恵まれたのは、物事に対する真剣度合いとか、人に対する愛情だと思うんです。それだけは誰にも負けない自信があります。

店にいるスタッフは、全員シェフになってもらいたいと願っている。

これから僕がやらなければならならないことは、僕の店で働いている副料理長以下全員を、どこの店に出しても恥ずかしくないシェフにすることだと思っています。シェフになれるのは、10人中1人ぐらいの、ほんのひと握り。全員シェフにさせるというのは、不可能に近いことなんだけど、絶対にそうなって欲しい。以前の僕の下で副料理長をしていて、いま荻窪で調理場をまかされている相原シェフも、そろそろ独立してもいい、という時期に、彼にぴったりの店から話があったんですよ。ちょうど12月の最も忙しい時期だったので、いま彼がいなくなると僕がいちばん困る立場だったんだけど(笑)、履歴書を書いて行ってこい、と送り出しました。料理人を志した者は誰だって、自分の料理を作ってみたい、自分の店を持ちたいと願うもの。その夢を持ち続けたいなら、毎日毎日努力するしかないんだよ、ということを、僕自身がこの身で示しながら彼らを成長させたい。そしてシェフとして、いつか必ず独立させてあげなければいけないと思っています。

カニクリームコロッケ

カニクリームコロッケ

コツ・ポイント

コロッケのたねがゆるいと揚げている時に破裂したりするので、短時間冷凍庫で冷やして固めてから成形すること。ポイントはコロッケを作るというより、おいしいべシャメルソースを作るという気持ちで。とろりとしたなめらかなソースに仕上がれば、もう半分は完成です。

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