名店のまかないレシピ

岩元学 / レストラン アピシウス うちの店の“夏の定番” 冷や汁

有楽町駅からほど近く、高級ホテルやブティックが並ぶ一角。地下へと続く階段のアプローチを抜けると、まるでヨーロッパの美術館のような重厚かつ落ち着いた世界が広がります。初代料理長の故・高橋徳男シェフの情熱を引き継ぎ、老舗フランス料理店「レストラン アピシウス」の味を守り、常に新たな息吹を注ぐのが岩元学シェフ。シェフ自身も毎日の楽しみにしているというまかないの時間が始まりました。

まかないの作り方に、料理人としてのセンスが見える

まかないの作り方に、料理人としてのセンスが見える

誰にとっても、食事は1日の中で楽しみな時間。この道30年以上になる私にとっては、1日2回のまかないの時間は、体に染みついたリズムのようになっています。

うちの店の場合は、ランチ営業前の11時とその後の16時15分の1日2回。昼は洋食中心、夕方は和食か中華を食べることが多いですね。献立を考えるのも作るのも新人シェフの役目で、今年の4月に入ってきた若い者が先輩に習いながら毎日作っています。がんばっていますよ。

私自身もこの店でまかない係だった時代がありました。当時は牧場も持っていたものですから、朝に「子牛半頭」が届いたりしましてね。お客様にお出しする料理だけでは余ってしまうから、まかないも朝から晩まで子牛尽くし。さすがに一カ月近く続いた頃は「いい加減に飽きたよ」なんて言われましたね(笑)。でも、そうやって手元にある食材をいかに調理して食べる人を楽しませるか、頭を使う訓練にはなったと思います。

上の立場になってから見ていると、まかないを作る姿勢には、料理人としての素質が如実に表れるなとも感じるんです。まかないを作る時に、一つひとつの材料に向き合って下処理を丁寧にする者は、厨房の持ち場を任せても安心できます。

と、偉そうに話していますが、私は普段は現場に何でも「お任せ」主義です。ヒントくらいは伝えますが、できるだけ副料理長以下で考えてやってもらうようにしています。私自身が料理長になった時に自信を持てなかった経験があるので、後に続くシェフたちにはできるだけ多くの経験をしてもらって自信をつけてもらいたいという思いがあります。料理長の役目としては、先頭で皆を引っ張るというより、後ろから「しんがり」を務めるような気持ちでいます。そのほうが私には向いているのです。

食の原体験を振り返り、内なる宝物を見つける

食の原体験を振り返り、内なる宝物を見つける

まかないの献立は何でもありですが、うちの店は“郷土食”が多いのが特徴だと思います。

今日の「冷や汁」は宮崎県出身の副料理長がよく作っていた夏の定番で、皆の大好物です。全国各地からの地方出身者が多いので、出身地の郷土料理を積極的に作ってくれと頼んでいるんです。「岩手出身だったよな?なんか作ってみてよ」と言うと、一生懸命考えてやっていますね。

なぜまかないに郷土料理を薦めるかというと、“食の原体験”を感じてほしいからです。うちの店で働いているシェフたちには、店の中で学んでほしいこともたくさんありますが、ここに来るまでに重ねた食の体験を振り返ることで学べることも多くあるはずなんです。20歳で料理人の道に入ったとすれば、20歳になるまでの命をつないだ食の体験がある。何にも替え難い宝物です。それは確かにあるものですが、意識するきっかけがなければ意外に気づかないこともある。

私の場合は、子どもの頃、両親の実家があった島根から送られてくる段ボール箱が楽しみでした。箱一杯に詰められた、米、味噌、魚の干物、漬物、野菜、ぶどう・・・。当時は国鉄の輸送でクール便なんてなかった時代でしたから、開けたとたんに、様々な食材の濃厚な香りがむぅっと鼻をついて、お腹が鳴ったものでした。この「香りの記憶」は、私にとって食の原体験で、ふとした時の思考や行動に宿っていると思います。特に自分で献立を作るような立場になってからは、“内なる体験”が活きてくると実感しました。

こういった自分の内にある体験を探る姿勢を、これからの料理人は大事にしないといけないと思います。なぜなら、上手に作れるレシピの情報なんてどこにでもあふれる時代です。自分の内側から何かを生みださなければ、借り物みたいな料理しか作れなくなっちゃうんじゃないでしょうか。そう思うんですよね。

もう一つ、うちのまかないの大きな特徴は「だし」です。何でも本物の味を追求した初代料理長の頃から、「まかないでも、必ずだしを引く」というのが当たり前にやってきたことでした。ですから、厨房には和食材である鰹節と昆布も切らしません。この初心、基本理念を断固継承していく姿勢を大切にしています。

「だしを引く」という手順はフランス料理のソース作りの根幹だからこそ、まかないでも大切にしなければいけないというのは私自身も感じます。毎日の食事の習慣の中で、本物のだしの味を身に染み込ませるということも、味を司るプロとして続けていきたい店の伝統ですね。

冷や汁 と 豚肉の竜田揚げ甘酢あんかけ

冷や汁 と 豚肉の竜田揚げ甘酢あんかけ

コツ・ポイント

冷や汁は、少しの手間をかけることで風味良く仕上がる。干物は焼く前に酒を塗ることで臭みが消え、胡麻・味噌・干物のほぐし身を炙ることで、香ばしい味わいに。全体をのばすだしは、鰹節と昆布でとるのがおすすめ。

豚肉の竜田揚げは、調味料に漬けこむ際に卵白を加えることで柔らかく仕上がる。15分程漬けこんだら、180℃の油で5分程かけてこんがりと揚げる。とろみのある甘酢あんをからめることで冷めにくくなり、少し時間が経ってもおいしくいただける。

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  • 文:宮本恵理子
  • 写真:平瀬夏彦